自分の進路を決めるまで。その2

こんばんは、satoです。

昨日に引き続き今日も自分の進路に対するあれこれを書いていきたいと思います。
今日は大学に入ってから、大学院生になるまでの話です。

大学に入ってからアニメや漫画などの二次元世界に時間を投資してしまっていた私。
特にライトノベルの緻密な世界設定と多様な世界観に触れて、自分の中でも独自の世界観を脳内空想していました。
これは以前書いたことがあるので割愛…。

この一連の流れの大きな理由として「数学より漫画の方が『オリジナルの作品』を作りやすい」という考えがありました。
数学はあらかじめ決まっていることがあり、それと矛盾しないようにしなければならないのでうまく形成できなかったのです。
これに対して、漫画の方が自由度が高く色々なものを作ることができました。だからこそ、色々な世界に触れたかったのです。

この流れの延長線上に「救いとは何か?」という疑問や聖書に対する興味があって、このことが摂理の御言葉を聞く一つのきっかけになりました。
また、空想世界によって自分の心を安定させるという役割も大きかったです。

これとは別に、自分の中にあった「世界観」とか「漫画の知識」を活かしたかった、ということもありました。
正直、これは大したことではなかったのですが…。ただ、たまに漫画の情報に触れると色々復活することはありました。
そういうわけで、摂理に来て以降もマンガを読むことはなくなったものの、漫画の情報には結構触れていました。

さて、一方で現実世界では…(笑)

数学の授業やゼミは「言葉の暗記」に近かった状態でした。
そもそも長く集中できなかったり、耳からの情報が聞き取れなかったり…でゼミでも授業でもひたすら黒板のノートを取るだけの状態。
そして、「これは後で復習しよう…」と思っても、次の瞬間には別のことを考えすっかり忘れていた…ということがほとんど。
実のところ勉強が好きでない私にとって、大学での勉強生活はなかなかに苦痛でした。
(ただ、自分の興味のあることを自主的に調べることは良くしていました。むしろそれがメイン?)

今にして思えば、これは勉強法を知らなかった、というか「勉強の目的」を知らなかったからでした。
勉強をする目的は「勉強する対象(今でいうなら数学)を理解する」ためでした。もう少しいうと「自分の中に構築し、使いこなせる」ようになるまでになることでした。
そして、それを実現するためには「最初から順を追って」教科書を読まなくてもよかった、というより自分には合わなかったのです。
少し先のことを話すと2011年に自分が摂理で壁にぶつかったことがきっかけで、「自分の中で疑問を持つ」ことや「一つ一つの意味を考え、理解する」方法を会得しました。
それによって、数学においても「自分が興味を持ったところ」を考え、そこで初めて「定義を振り返る」という今のスタイルを獲得し、飛躍的に数学の実力が向上したわけです。

しかし、当時の私としては「自分の知らない知識に触れよう」という程度の意欲で授業に出ていたものでしたから…(´・ω・`)
結局数式と専門用語の本流に流され、毎日毎日アップアップしながら、しかし自分の中に何も得られない…という感じで大学4年間を終えました。

院生になっても数学の実力が勝手に上がるはずなく…(´・ω・`)
やはりアップアップしながら、論文を読んだり、苦しい生活をしていました。
…無論勉強が苦しくないわけないのですが、その苦痛が身になっていなかったことが最大の苦痛でした。
そして、このころになると「本当に数学研究で生きていくのか?博士課程を取る必要性があるのか?」という疑問も浮かびました。
このことが、自分の勉強に対するモチベーションをさらに下げることになりました。

というわけで、明日はこのあたりについて書きたいと思います。

※まとめ※

・私は「自分の作品」を作ることがしたかった。そして、漫画世界の方が自由度が高くてそっちにおぼれていた。
・数学の勉強法を知らなかったことで数学の勉強が身に入らず、いつしか「数学研究をする」ということに疑問を持つようになった。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。