おはようございます、satoです。
私は昔から漫画を読んでいるのですが、その影響か私自身「カッコよくやりたい!」という癖がありました。
例えば影を含むようなクールキャラ。周りの状況を冷静に分析し、知識を兼ね備えた博士キャラ。
この影響は結構大きくて、私の空想の中で私が演じるキャラは大抵「第三極のボス」で、「なんかすごい力を持っていて」「基本的に自信ありげでクール」でしたね。
あと、ディアボロをする時も「カッコいい」技に惹かれ、カッコいい技をやっている動画を見て自分もそのような演技をしようと思っていました。
しかし、実際のところ私は「面白い三枚目キャラ」の方が正しいです。
何をやっても笑いになってしまう。ディアボロをやったら技に感嘆されるより「ドヤ顔」アピールで笑いが起こる(笑)
何かを話してもどことなく笑われる。必ずなんかおかしいところがあるようで、そこを突かれてしまう(´・ω・`)
(時たま深いことを話して「おー」と言われることはありますが、尊敬されるってことはない(笑))
そんな自分を見ながら「なんで自分はこんなに笑われるのだろうか…」と多少落ち込むこともありました。
神様に祈ると、神様はこう話しました。
「あなたには純朴さ、素直さがあるのに、どうしてカッコよさで勝負しようとするのか?」
自分には、素直さ、素朴さという取り柄があります。
自分が素直に行い、素直に神様に向かう、その姿勢が人を感動させ、神様につなぐこともあります。
私は「自分が何か上手くやって成功したい!」って思いが強かったのですが、そんなカッコいいことをしなくても「ただ素直に行う」ことで人を救うこともあるのです。
…そういえば、この間バイト先で
「satoくんは本当に純朴だ~、本当に好きだわ~」
って何回も言われました(男性の上司に)。
なんで、こんなに何回も言われるのだろう…と思っていたのですが、どうもこれは「神様の啓示」だったのです。
確かに、この頃の私は「人によく見せよう」という気持ちが強くなっていた気がします。
世の中の言葉をたくさん見ているので、世の中の言葉を使いたくなる、というか世の中の言葉風に考えてしまうことが多い私。
でも、神様にしてみれば「そんな世の中の言葉を使わなくても、あなたの素直な言葉を書くだけで十分伝わるし、十分面白い」ってことなのだと思います。
むしろ、世の中の言葉で考えると自分の素直さが失われ、味がなくなってしまうのです。
あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
口語訳聖書 マタイによる福音書5章13節
私は「綺麗にできない、カッコよくない」と落胆しているけれど、神様は「素直で純粋なあなたが好きだ~」って話してくださっているんですね。
あぁ、本当に私の中にある大事な「塩」を忘れていました。
私の「素直さ」という宝、日々忘れないで生きていきます。
神様に対しても素直に、人に対しても素直に。実直に生きていきます(`・ω・´)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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