摂理と非暴力。

こんばんは、satoです。
皆さんはキング牧師をご存じでしょうか?本名はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、かの宗教革命を起こした「マルティン・ルター」からとられています。
彼は黒人差別を撤廃させるべく、様々な運動を指導しました。その結果、当時の人種差別を定める法が覆り、アメリカから人種差別がなくなりました。この功績により彼はノーベル平和賞を受賞します。
彼の信念は「非暴力」でした。これは単に「やられるだけ」の弱腰な姿勢ではなく、「自分が抵抗しないことを通して、見る人に「差別する人が正しいのか」訴えかける」という強い考えに基づくものでした。事実、この姿勢で行われたバーミンハム運動では、ボイコットに対して暴力で制圧しようとする警察を見て、世界の人々が非難しました。それによって、バーミンハムの法が覆ったのです。
鄭明析先生も同じように、非暴力の信念を持っています。「神様は無理矢理なさらない、強制しない」からです。
どんなに先生のことを悪く言う人がいても、不当な裁判を受けたとしても、鄭明析先生は何一つ抵抗しませんでした。
ベトナム戦争に使役したときも、「敵を愛しなさい」という神様の御言葉を実践し、敵を一人も殺しませんでした。
…そんな極限の状況ですら人を殺さなかったのに、まして人が多く慕う時に暴力を振るうでしょうか?
鄭明析先生は命の貴重さを戦争を通して悟りました。また、一人一人の自由意思、心の価値を深く悟っています。だから、摂理には全てのことにおいて「強制」はありません。摂理に来ている人は皆、(地獄に行くと言われて怖くてではなく)「鄭明析先生の思想がいい!」と思ってここにいます。
非暴力、非強制。
摂理に来ている私も、そのように人に接したいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。