大数の法則を通して神様が摂理人に語られたこと

永遠でいらっしゃる神様だからこその視点。数式を通して語られる神様のお話。

こんばんは、satoです。

今日は確率・統計の試験勉強中に学んだ「大数の法則」から悟ったことについて書きたいと思います。

大数の法則とは

確率・統計の基本的な定理の一つです。

簡単に言うと「統計的確率(成功回数/繰り返した回数)は理論的確率(数学的に計算した確率)に近づく」ということです。

ちゃんと数式にすると…各回の試行は独立(他の試行の結果に影響を与えない)を仮定します。

任意の\epsilon>0に対して、muを理論的確率とすると

    \[\lim_{n\rightarrow\infty}P(\big|\frac{X_1+X_2+\cdots+X_n}{n}-\mu\big|\ge\epsilon)=0\]

となります。X_iというのは確率変数と言って、i回目の結果を表します。たとえば、コインを投げて表ならX_i=1、裏ならX_i=0として考えます。

これを踏まえて数式の言葉を翻訳すると

「繰り返す回数を段々大きくしていくと、結果の平均(統計的確率)と\muの差が\epsilonを越える確率は0に近づく」

ということです。

さっきのコイン投げの例で言うと、理論的確率は\frac{1}{2}ですが、実際にコインを投げて表/裏を観測すると最初は偏りがあるように見えてもずっと繰り返していくと表が出る確率が\frac{1}{2}に近づく、というわけです。

(数学に詳しい人向け:厳密にはこれは「対数の弱法則」ですね。もっと強く

    \[P(\lim_{n\rightarrow\infty}\frac{X_1+X_2+cdots+X_n}{n}=\mu)=1\]

という「大数の強法則」も成り立ちます。)

これを摂理の御言葉で言い換えると…

大数の法則が物語っていることは

途中で大きく成功したり、失敗したりすることはあるかもしれないが、最終的には本来の確率通りになる

ということ、のようです。

「大数の法則」を人生やビジネスにあてはめると、何が言えるのか?

こちらの記事を参考にしました。

ここで、神様の視点からこの話を見てみましょう。

神様は永遠でいらっしゃる方です。永遠ということは、つまり終わりがないということです。

そして、人間の肉は100年生きて終わりですが、霊は永遠に存在します。

神様はこのことをご存知で、人間を大局的に…それこそ永遠の生まで見てご覧になります。それ故…

20150725鄭明析先生の明け方の箴言-摂理☆祝福の方程式

<試験>を中心にして評価して使命を任せないで、
<平素>よくやっているなら、使命を任せなさい。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@

神様はイベントの時にうまく出来たとしても、そこまで気にしません。また、患難の時にうまくできなかったからと言って見捨てることもなさいません。

平素の実力が最後には、それこそ「霊界に行った時」には残る

ということをご存知だからです。

これを数式で表現したのが「大数の法則」…かと思うくらい、納得です。

神様は永遠であられるから、人間の「平素の実力」を重視するのですね。

このことを通して神様が語ること

それは「失敗したことがあっても落胆したり、自暴自棄するな。平素の実力通りになるのだから」でした。

実は私、勉強する前、ある発言によって「人に不快感を与えてしまったのでは?」ということで思い悩んで

あぁ、もうダメだ…

となりかけていました。そういう軽い自暴自棄状態でテスト勉強をした時に、大数の法則を通したこの悟りが来たのです。

どんなに失敗したとしても、大丈夫。

人間関係も神様との関係も、少しの波があっても最後にはまた平素のとおりになります。

そのことを教えてくださった神様に感謝します。

 

余談ですが。

このブログ記事を書いたおかげで試験で「大数の法則」が出た時にバッチリ説明できました(笑)こうして、また一つ神様に助けられました。本当に感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。