「人間でなかった」ところから復活した私。

こんばんは、satoです。

これは数年前に教会の人と朝御飯を食べていた時の話。そのうちのある方が次のようなことを言っていました。

「satoくん、本当に変わったねぇ!」

その人は元々道外の方で、私が摂理に来て1-2年くらい経った頃に一度北海道に来たことがあったそうです。「そうです」と書いたのは、私がその人と会ったことを覚えていなかったからなのですが。
その人が北海道に来た際に私を見かけたのですが、当時の印象が次のようだったそうな…。

  • コミュニケーションができない。
  • 自分だけの世界に入ってる。
  • 風船みたいに触れたら割れそうな感じ。

総じて…ぶっちゃけ人間でなかったとのことです(笑)聞いてて、思わず大笑いしてしまいました(笑)
そんな状態だった私に気を遣って、その方は私と話をしなかったそうです。どうりで覚えていないわけだ(笑)

そういえば、摂理に来た当初に高校の友達とも話をしていました。
数年後にその友達と会って近況を話していましたが、当時のことを次のように語っていました。

「あのときは本当にヤバかったよね。宗教にのめり込んでて大丈夫かなって…」

今は色々楽しんでいるようで、安心した、と話していました。
そういえば、この友達には教会に通っていることを話していましたね…。

当時の精神状態を振り返ってみると、

  • 摂理がどういうところか分からないまま、「摂理がカルト宗教だ」というネットの情報をほぼ鵜呑みにした状態で、精神的にいろいろ不安だった
  • 「しなければならない」という言葉を聞いて、半ば強制的にいろいろやっていた
  • そもそも、人目をすごく気にしていつも不安が絶えなかった。今も多少はありますが、当時はもっとひどかったです。(だから、一人でいたかった)
  • そんなストレスから逃避するためか、神様との祈り、対話(のような独り言…?)や空想世界に没入していた。空想世界に没入するのは元々でしたが…。
  • あと、自分という存在が薄かった。風船のよう、というのはその辺りかも??

…そんな状態なら、誰しもが不安に思いますよね(´・ω・`)

こんな私ですから、最初に書いた人も含め数人の方が「この人はいつか摂理から離れているだろうな…」と考えていたそうです。
といいますか一番「自分は摂理を離れる」と思っていたのは自分でした(笑)もちろん、教会の多くの人は相当祈ったりいろいろよくしてくれましたが…。
と言っても、これは「摂理が嫌だから」離れる…というのとは違いまして。
当時の私は「自分自身を信じることができなかった」し「自分は悪人、必ず悪いことをする」と思っていたので、ぶっちゃけ「私はいつかイスカリオテのユダのようになる」と強く思い込んでいました。つまり、いつかは「摂理を裏切って」離れるだろうな、と。

ところが、そんな私が今も摂理にいる。それも結構元気になって、しかも楽しく信仰生活をしている
このことに、最初の人は結構感動したようです。

今では、初対面の人にもすぐに心を開いて話せるようになりました…むしろ話しすぎるくらいかもしれません。
最近も、初対面の人に「自分のことをよく話せている」「打ち解けるのが早い」と言われました。
自分だけの世界に入ることは…今でもありますが、以前よりは現実世界に実感を持って楽しめるようになりました。前よりは外側の世界にも目を向けられるようになりました。
繊細なところはありますが、以前に比べるとだいぶタフになりました…もう少し丁寧さがあるといいくらいかも(笑)
そして、間違いなく、摂理に来た最初…10年前…5年前…1年前より、着実に時間が経つにつれてより良くなってきているし、自分のことを好きになれているし、自分に少し自信が持てるようになりました。

こんな風に変化したのは間違いなく摂理に来て、神様の愛を受けながら御言葉を聞いて自分を作って変化させたからです
自分自身の心と向き合い、引っ掛かっているところを告げて、時には涙で悔い改め、時には人に相談して…。
と書きましたが、正直自分がなにかできたということはなく、本当に鄭明析先生の祈りと御言葉、そして教会の皆が神様の愛で接してくれたから、というのが一番大きいです(*‘∀‘)
だから、私はこんなに生まれ変わりました。「人間でない」と言われたところから人間になれました(笑)
私を生まれ変わらせてくださった神様と摂理に感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。