積み重なる経験の大切さ

おはようございます、satoです。
ここ最近は数学の研究を続けております。
これまで幾つかの計算例を参考に証明を進めておりました。
その中で、ある問題の証明を完成させたのですが、その証明の一般化をするために今日は一旦全体像の概要を書いてみました。
そうしているうちに一番証明したかった問題の数式化を試みたところ、とてもすっきりと数式化できたのです。
どういうことかというと、最初に数が小さい場合で証明できた際に「この条件が成り立つ時」「この場合はこれ、この場合はこれ」といくつか場合分けをしていたのですが、今回の数式化はこの条件や場合分けを一回で含むことができたんです。

この照明に際して、一つ重要なプロセスが必要なのです(そして、この証明が結構複雑になりそう…)が、実はこの補題の数式化も単純な形だと色々面倒なところがあったのです。
ところが、この問題に組み込むと「面倒なところ」が条件と合わさってかっちりいけるのです。

これまでも数学の問題を数式化することが多くありましたが、今回ほど「かっちり数式化が当てはまった」ケースは初めてでした。これはさまざまな計算と証明を繰り返してきたことによって得られた結果だと思います。
このように、数学における計算例や予想、証明の積み重ねによって「より理想的な数式化」ができるようになるのだと思います。

と、ここまでは数学の話ですが…。
このように自分のやってきたことの積み重ねによって、ある時突然飛躍的に変化することがあります。
信仰においても、ずっと聖書を読んでいるとある時までは理解できないで、ただ文章を読むだけ…というか文字が流れるだけ…ということがあるのですが、突然これまで聞いてきた御言葉や経験と重なって理解が進む、ということが起こります。
祈りも、明け方起きることも、いろいろなことが…最初は形式的でも、どこかで壁を越えることがあるのです。
過程においては失敗もありますし、挫折することもあります。しかし、この失敗も挫折も「何かをやってきたこと」があります。そのやった経験は決して無駄でなく、自分の体、心、あるいは神様の前に残っているのです。

そういうわけで、今チャレンジしていることがあれば、最後まで諦めずにやっていってほしいなぁと思います。
失敗して諦めたくなることもありますが、どこかでその全ての経験が繋がるはずです。
方向性が間違っていたとしても、どこかで正しい方向性に戻せさえすれば「間違った方向で行なったこと」すら神様が繋げてくださるのです。そのことを信じて…神様と一緒に頑張っていきたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。