satoの数学小説シリーズ「真理の森の数学セミナー」絶賛更新中!

この世界で最も繊細な「愛」の世界。

この世界で最も繊細な「愛」の世界。

こんばんは、satoです。

今日、御言葉を読んでいて気づいたのが、愛の世界は最も繊細なものだということでした。

愛の傷ができるとどうだろうか。笑っていても笑えておらず、楽しそうにしていても楽しいのではない。
-摂理の御言葉『霊的な状況と版図を変えるために、祈りと新しい命が必要だ』より

愛の傷というのは、最も難しい問題です。
自分がどうにかするだけでは解決することができません。何故なら愛の問題というのは相手と自分との関係性ですから。

思えば、この世界のあらゆる問題は「愛」があれば解決できるものです。

相手を少し愛するだけで、傷つけるような言葉を話すことはできません。

相手を少し思うだけで、その人のことを気遣い、祈ってあげます。

相手を愛するなら、その人が喜べば自分も嬉しいし、その人が苦しんでいたら、心が苦しくなります。

子供の時に正しい愛を受けられなければ、大人になっても「条件付きの愛」しか考えられません。それを自分も求めるし、相手にもそう接してしまいます。

思えば、私は「愛」がとてもつらかったように思います。
それは、この愛によって「不自由だったこと」といいますか、「相手に利用される」と感じることが多かったからです。
私は基本的に人のことが好きなので、その人のお願いを聞いてあげることが多いです。しかし、それを「利用して」自分のやりたい通りにしてくる人があまりに多かったのです。たとえば、自分をおもちゃにして笑いもののようにするとか…。
正直私としては「つらい」気持ちがあったのですが、それを話しても気持ちを理解されず、むしろひたすらお願いされました。私には断ることが出来なかったので、つらい心の中結局お願いごとを聞いてあげました。
…今でもそういう風に接する人がいます。

そういうわけで、この「愛の関係」から自由になりたくて、色々もがいていました。
愛で、とてもつらい思いをしたから。

でも、これは「本当の愛」ではないということを知ったのは、摂理に来てからでした。
摂理に来たら、自分のことを尊重してくださる神様がいて、その愛を実際に行なう鄭明析先生がいて、その精神を受けて行なう摂理の人々が居たからです。
また、摂理に来てから、自分は「愛が多い」人なのだ、とも気付きました。
私は基本的に人のことが好きで、神様のことが好きなのだ、と気づいたのです。

愛というのは「無理矢理」には出来ません。
無理矢理にしようとしたら、ちょっとでも力を入れると壊れてしまう繊細な作り物のように、「自分の愛の心」が壊れてしまうからです。
だから、神様はひたすら私達を無条件愛してくださいます。本当の愛によって満たされてこそ、今までの愛が本当の愛でないと気づくからでもあり、愛の傷は、愛でしか癒せないからでもあります。

その愛を受けて、私も少しずつ愛が回復していきました。
これは本当に感謝すべきことです。

今、私は愛に満たされつつあります。
本当に幸せです。

その愛で、今日も、明日も頑張ります(/・ω・)/

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

日常生活カテゴリの最新記事