おはようございます、satoです。
だいぶ前からブログ記事を書こうとして、もがいていましたが、この度書きたいことが色々できたのでブログを復活させようと思い至りました。
8月になり、私の教会でも『修養会』が行われることとなりました。
修養会というのは、毎年8月頃に月明洞に摂理にいる人が集まって、そこで祈ったり賛美したり、色々なことをする行事のことです。
…が、昨年からのコロナの流行によって、今年は人が集まっての修養会は行われていません。
では、どのようにして私の教会で『修養会』が行われているのかといいますと。
各自が『自分ができるようになりたいこと・直したいこと』を決めて、一定の期間それを行なっていく
という形式で、オンラインでお互いの途中経過を話す、という感じです。
このように「大規模には集まれないけど、個人個人が小さく直すべきことを直して、自分を作っていく」という方針は、鄭明析先生が伝えて下さっている最近の御言葉
「小さくてもやればできる。今は小さくても行うべき時だ。
すべき時にしてこそ成功する」
にも合致しています。
そういうわけで、私もいくつか項目を挙げて行なっております。具体的には
明け方起きて30分以上深く(自分の考えを置いて)祈る
見るメディアに気をつける(特に賛美を多く聞く)
研究する(結果を論文にまとめる、公募を出すなど含む)
という感じです。
こういう『自分を作る』という話になると、多くの人は「聖書を読む」「運動する」などの信仰に関わることで、なかなかできないことをやろうとするのですが、それとは多少違うように見えます。以下、項目の選択理由。
1. 明け方の祈りができていないために、ある程度信仰生活ができていても調子が悪くなることが続いていたので、ここは一発明け方の祈り、特に「神様を意識する祈り」を行うことで信仰の感覚を掴みたい。
2. 調子の悪くなる原因が見るメディアの内容で、特に自分が好むものを「だらだらと」見てしまうため、それを抑制する。かといって「切る」という方向だと限界が来るので「賛美」を中心として、そっちを楽しむようにすることでコントロールしたい。
3. 聖書や運動でも良いのだが、運動は(緊急事態宣言発令前は)週2で行えていたのと、『自分が一番すべきことから逃げてはいけない』という強い感動があったので、自分の生活の中心でありながら仕事で後回しになっていた研究や就活を行い、生活のベースメントを作りたい。
現在
今のところ、概ねこれらの条件はできています。(細かいところで言うと、「30分以上祈っても神様と疎通できない」「メディアは見てないけど心が神様以外の方向を向いている」ということはありますが…もがもが)
そもそも、「決めたことを行う」というのは意外と得意で、一度決めればある程度行うことはできるというのはあります。
ただ、「ただやっただけで終わってはいけない」というのはいつも思います。
たとえば、明け方起きて祈るにしても「30分祈る」ことに重きを置くとあまりスッキリと祈れません。「神様が願うことを祈る」「自分の考えを置いて祈る」ということを意識して初めて条件を達成できます。これは他の条件も同じです。
最も、これは実際に明け方起きて祈っているからこそのもがきであり、この条件を始める前はこういうことを意識して祈るどころか、御言葉を聞いたらすぐに休んでしまうくらいでしたから、だいぶ復活しました。うん。
こういう違いも行なっているから気付けるのだと書いてて思いました。
メディアについては、この企画が始まる前からだいぶスッパリと切っていました。
ここ2,3年気になるメディアをあらかた見たり、読んだり、時にはゲームもやったりしていたのですが、正直言うと楽しいと思う一方で「苦しさ」や「限界」も感じておりました。そもそもゲームがそこまで得意なわけでないですし。
加えて、こういうメディアは自分が苦しいときの逃避先として見てしまうことが多く、下手すると一日ずっと見てしまうこともありました。
そういうわけで、色々あってダラダラと切れていなかったメディアをすっぱりと切ってみたら、信仰がだいぶ復活していた次第であります。なお、ブログが書けなかったのもこのあたりが原因です。
多くのメディアについてはダラダラと惰性で見ていたので、切ってしまったらそれほど気にならなくなりました。特にYoutube関連はこれが多いです。
とはいえ、2,3年もずっと見ていたメディアですから、そう簡単に関心が切れているわけもなく。特に以前強い関心を持っていたものについては今も残っていますね。
たとえば、現在とあるアニメの続編が放映中で、、割とそれは気になっています。(一回だけこちらのブログでも話題に出したことがありますし、Twitterとかでもちょっと話してましたから、もしかしたら”あれ”のことだと分かるかもしれません)
あと、バーチャルYouTuber関連でもそれなりに強い反応をすることがありますねぇ…。この辺は特にハマっていたものなので。
こんな感じで現在ももがいておりますが、それでも方向としては復活しているのを感じます。特に以前にはなかった「神様を中心として生きる」という思想が出ているのが大きいです。
夏は植物もよく育つ時期であり、復活の時だと言えますが、私もまた心と行いが復活しているのを感じます。
正直部屋に引きこもって生活するのはどちらかといえば昔からやっていたことでもあり、そこまで苦痛に感じないのですが、だからこそ「信仰生活」ができていなくても気づかない、ということがありました。
摂理で御言葉を聞いていなかったら、おそらくこの生活をずっと…とは言いませんが、長いことしていたでしょう。自分の心理状態が良くないことに気づかないまま。
今このブログが書けているのも、御言葉を聞いているから、と言えるでしょう。そのことに心から感謝します。
今後
ひとまず、この条件はずっと続けようと思っています。
ただ、現在上に書いてあるもがきとは別に「停滞感」を感じています。その原因の1つが「発信をしていないこと」だと感じているので、今回ブログを復活させることにしたのでした。
なので、今後はこういう実践を通して感じたことをブログにしていこうと思います。それと並行して、色々考えていたことも少しずつ実行しようと考えています。
『小さくても行う』という御言葉は本当に金言であると感じていて、今後の色々を実行する上で大事にしたいと思いました。
…今回は正直万人向けというより、分かる人にしか分からないような記事でしたが、「自分の中に溜め込んでいたこと」を記録しようと思ったので、こんな内容になってしまいました。
次回以降はもっと人に伝える内容にしようと思っています。よしなに。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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