「揃える」癖も神様に使われれば…。

おはようございます、satoです。

昨日「細かい所まで揃える癖」に困っている、という話をしました。
ちょっとでも揃っていないと気になりだして、細かい所まで揃えようとして時間が奪われてしまう…しかも、それで間違ってデータを消して、次の日に更に多くのことをしなければならなくなった、という話をしました。
これについて神様に「揃えることより使うことを意識しなさい」と答えを受けました。

昨日の話で言うと、賛美音源のファイルを「韓国語・日本語併記」にしたのは、元々のファイル名は韓国語でそれを残しても良かったのですが、それだと自分が賛美を歌う時、どこにあるかが分からないので日本語名も併記したのでした。
また、フォルダ名もちゃんとどこに何があるのか、順番を揃えておいてこそ見つけやすくなるから揃えたのでした。特にアルバムが出た順番とフォルダの順番を揃えると「自分の中にある順番」と一致するからより見つけやすくなるというわけです。

このように、「フォルダ名やファイル名を揃える」ことにはそれなりの意味があるのですが、問題は一つでもそれがずれていると単に使いにくい、ということより綺麗でないのが気に入らないために躍起になって揃えてしまう、自分の血気なのかもしれません。
また、曲を再生した時に出てくるタイトルは文字化けしていてもあんまり問題にならないですよね…大抵見ていないし(ノД`)
こんな感じで、「使う」ことを意識して整理してみると必要なこととそうでないことがはっきり分かるようになります。

長短ある「細かい所まで揃える癖」ですが、神様に使われればとても良く使われます。
たとえば、私は教会の賛美をする際にパワーポイントで歌詞を出す使命をしています。
また、時には賛美歌詞パワポを作成することもあります。
このパワポを作ったり、操作する際に、時たま上下が揃っていないとか文字の大きさが少し小さいとか韓国語の歌詞も付けておかないととか細かいところが気になります。それで時間がある時に微調節します。
意外とこれが良くて、時々「これ前から気になっていたんですよね」とか「揃えてくれて感謝」とか反応をくれることがあります。

パワポを見る時に「気になる」ところがあれば賛美に集中できません。
全ての人が賛美に集中できるようにするため、この使命というのは小さいけどとても大事なことなのです。
そして、この使命に「細かい所まで揃えようとする」特性が、大きく活かされるのです。本当に感謝です(`・ω・´)

人には誰しも長所と短所があります。
しかし、時には長所と言われていたところが短所になることもあれば、短所と思われていたところが長所として活かされることもあります。要するに長所と短所は表裏一体なのです。
そして、神様は私の長所を活かす適切なところを確実に用意してくださっています。

神様と聖霊様と御子の方法どおりにすれば、<短所>がなくなり、<短所>も<長所>に変わる。-鄭明析先生の明け方の箴言より

特に発達障害と呼ばれる人たちは尖った特徴を持っています。
これが社会と合わないとうまく生きられない…なんてことにもなるのですが。
しかし、摂理では神様がその個性を活かせる環境に必ず置いてくださいます。それで短所がなくなり、長所に変化するのです。

誰もが活かされる摂理。
そこに、全ての人が生きる「総活躍」のビジョンを見た気がします。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。