ADHD傾向の私の摂理の走り方。

おはようございます、satoです。

しばらく調子を崩している私。
具体的には「何をしたら良いのかが曖昧」という状態が続いていました。
何をやっても、やる気が持続しない。
なんか楽しくない。
集中できない。

こういう状態になると御言葉もだんだん面白く聞けなくなり、次第にはそれはできないでしょ…という考えに陥りがちです(´;ω;`)
しかし、一方でこの時に決心して無理にでもすることで次元を上げる鍵が掴めることもあります。
確かに今までもそうでした。大抵何を言われても反発するときは、「何かしらの変化」が欲しい時なのです。

ADHDの特性の中で私の生活に最も強く影響を与えるのが「常に変化を求める」というものです。
もう少し具体的にいうと何かしらの刺激がないと続けることが難しくなるのです。刺激を常に求める、変化がないままずっと生活をしていると刺激を求めてしまうのはこの特性から来ています。
そして、一番簡単に刺激を受けるのが「食事」であり「メディア」なのです。だから、調子を崩すほどメディアに触れてしまうのです…(´;ω;`)

確かに、今まで私は信仰における様々なことを好きで、喜んでしていました。
しかし、それがいつしか当たり前になり、刺激がなくなるとだんだんとエネルギーが切れてしまうのです。
それでも、しばらくは「常同性」由来のストイックさで続けられるのですが、次第に「やりたい」という気持ちが薄れていました。
ブログも、楽しくするというよりは「決めた目標通りに更新する」ことに焦点がずれてしまい、だんだん面白くなくなってしまう…というサイクルが続いていました。

鄭明析先生の御言葉でいうと「心を新しくしなさい。」とか「新しいイベントだ」というところが解決策になるのですが、それではどうやって「新しくすることができる」でしょうか?
ここが、私の次元を上げる最大のポイントなのです。それでは、どのようにすればもう一度楽しくできるのか?

私がワンパターンに陥る原因の一つが「目的を忘れる」ということです。
そもそも、ADHDの傾向的には「未来のこと」を考えるのはあまり得意ではありません。「今」が中心になりがちです。
そして、確かに全てのことにおいて問題となるのが「目的がはっきりしない」ことなのです。
たとえば、私は練習をする時よほど関心があり、はっきりしている(例えば、賛美のチア動画を見て面白そうだから真似るとか)場合はかなり集中して持続的に練習します。
…でもそれも結構短期集中な気もしますが(*´・ω・)(・ω・`*)
しかし、それ以外のとき、つまり方法がはっきりしていないことはそこまでやる気が起きません。暗記が苦手だったり、これまでサークルでも練習をすることが好きでなかったのはこのあたりが原因かもしれません。

…ここで、一つ御言葉を思い出しました。
鄭明析先生がどのような生を生きているのか、についての話で先生は一日にすべてを懸けるような生を生きていると話していました。
一日にすべてを懸ける。よくよく考えると、これって私の一番得意なものなのかもしれません。
未来のことを考えても曖昧で、モチベーションが下がる私にとって、「一日に全てを投資する」というのは正しい方法なのかもしれません。

未来を考えて分からなくなるくらいなら。
今ある御言葉を行うことに全力で投資する。

そんなことを考えていたら、本当の不調の原因が分かりました。よくよく考えたら、私の場合は不調になるとADHD傾向がもっと出るのでした…(((^^;)不安を取り除くため、また一歩ずつ進めていきます!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。