【摂理人が書く物語】Pray for 3.11

福島駅の現在の様子

「あの日を忘れない ーRemember 3.11」@摂理の彩りより。クリックで元記事にジャンプします。東北の摂理人が当時の様子を描いた記事、是非一度御覧ください。

…目の前に広がる、青空と街の風景。
ここはかつて、「フクシマ」と呼ばれていました。
そう、5年前の今日…東日本大震災により、津波と地震、そして原発事故で壊滅的な被害を受けた、その一つの地です。

「…」

そこに、Aさんがいました。
仕事の出張で、たまたまこの地に来ていたのです。

「…綺麗…」

一見すると、何も変わらない町並み。
しかし、その中に住んでいる人たちは、今もまだ「復興」のさなかにいます。

「…」

そのことを考えながら、じっとその風景を見つめるAさん。

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Aさんは、当時この地にいたわけではありません。
あの時も今と同じように仕事中でした。ただ違うのは、その場所が東北ではなく北海道であった、ということ。
北海道も大きな揺れがあり、会社にいた時は本当に慌てていました。
落ちた資料や営業に行っていた人の無事を確認するなどして、会社が落ち着いた頃…
Aさんはテレビで震災の様子を見ました。

「…え…」

その目の前の風景を、Aさんは信じることが出来ませんでした。
大きな津波に流されていく建物。街全体を海が覆い尽くすその光景が、どこか別の世界の出来事かのように感じられました。それくらい現実感がなかったのでしょう…。
しかし、このことが現実である、とわかった時、Aさんはただひたすら怯えていました。

「…」

目の前で流されていく建物、車…そして人々。
そう、その瞬間、津波に巻き込まれ、命を失う人がいる。それも一人でなく、多くの…。

そのことを考えた時、Aさんは涙が止まりませんでした。
津波への恐怖、人が死ぬということに対する恐怖と、そして悲しみ…。
それが混ぜこぜになって、感情がどうしてもコントロールできませんでした。
その様子を見た上司が、Aさんを家に帰したほどでした…。

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「…あの時」

過去を思い出していたAさんが、ふと目の前の空に向かって話し始めました。
…それは、独り言でなく、神様への言葉でした。

「あの時、私は震災の様子を見て、涙が止まりませんでした。
それがどうしてなのか、私はよくわからなかったんです」

あれから、5年。
Aさんが神様のことを知って、御言葉を聞いて神様を愛していく中で、Aさんも色々と変わっていきました。
その中で、5年前のことを思った時、

「でも、今分かりました。
あの悲しみは…神様の悲しみなんだって」

あの時の悲しみは、神様の悲しみでもあった、ということに気づきました。

人間を愛して、本当に愛して愛し合いたくて、そのために創られた自然。
美しく、雄壮に、神秘的に創られた万物と、その中で平和に、楽しく、喜んで生きていくみんなの姿。
それを願い、共に喜びたくて、共に愛し合いたくて、すべてを注いで来た、地球。

それが、洪水によって壊れていく。
死んでいく人々。
崩れていく自然と万物。
それを見て、神様は…

「どれほど…どれほど、心を痛められたのでしょうか…」

一人でも多くの人を助けたくて。
ある時は感動で、ある時は人を通して、ある時は万物を通して。
事前に警告し、それを避けられるようにあらゆる方法を尽くした神様。
それでも、その手が届かず、人が死んでいく。その姿を見て…

「…」

その神様の心情を思い、Aさんの目から涙がこぼれました。
そして、Aさんは…

「…神様」

手を組み、祈りはじめました。

「…神様。
私達を生かしてくださったことに感謝します。

あの時、神様はどれほど悲しく、心が引き裂かれたことでしょうか…。
愛する人が、目の前で流されて、命を失う…そのことを目の前でご覧になられて…どれほどの悲しみがあったでしょうか…。

私たちは、今、生きています。

そのことを、生きていることの価値を忘れることなく、生きていくことを決心します。
もう二度と、このような…神様の目に悲しみの涙が流れる事のないように、
このような悲しいことが起こらないように…本当にお祈りします。

そして…

震災の被害を受けたすべての人たちの心の傷が癒え、町々の傷が癒えて…少しでも早く復興されることを、お祈りします」

震災から、5年。
少しずつ町々は復興していき、震災前の町並みを取り戻しているところもあります。
一方で、震災の被害が激しいところや被曝地では、未だその傷は癒えません。また、人々の心にも傷が残っていることでしょう。

復興は、始まったばかりです。

自分自身や、命や、自分の子を管理し教える時、<穀物>や<さまざまな果樹>だと思って接しなければなりません。

<穀物の農作>をいつまでし、<果樹>をいつまで育てますか?穀物と果実を刈り取る時までです。農作をするように、果樹を育てるように、刈り取る時まで、手も、心も、目も離さず、持続的に!最後まで!極まで!何としても!やるとき、より良いものをもらうようになります。
-[鄭明析牧師による主日の御言葉から] 1.自分が願っていたことが駄目になっても失望するな。もっとよいものをくださる。2.行なう人は攻撃し、行なわない人は攻撃される。

この地も、そして日本も。
今は<穀物>のように、成長し育っていく時なのです。

完全な復興が成されるその日が早く訪れることを、心から祈ります。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。