摂理人satoの冬道運転体験記

こんばんは、satoです。

今週の御言葉は「切実な祈り、切実な対話、切実な生だ」という主題で伝えられました。
そんな週に、私は冬道で運転することになりました。

先週末から今週頭にかけて、北海道は大雪でした。
いつもなら年始に起こるような寒波が、今年は12月に来ました。
私の地元である道北地方ではいつも通りなのですが、札幌でこうなったのは初めてな気もします…。
(高速実習が終わってからで良かった…(‘ω’))

そういうわけで、一夜にして状況が変わった札幌の道路。
いつもなら二車線のところが除雪された雪が壁となっているために一車線になり、一方通行の道路は思いっきり狭くなっていました。
…いや、こんな状態で運転したことないのですが( ;∀;)本当に事故を起こさないだろうか…。

ドキドキしながら運転を開始。
バスやトラックといった大型車両とすれ違う時は、自分とぶつからないか…一回ひやひやするくらい近くですれ違ったことも( ;∀;)
いつもなら気に留めない対向車線を走る大型車。しかし、事故を起こしかねない状況なので「切実に」確認してます。

狭い道を行くとき、隣の車両、そして側方の雪山がぶつからないか…もうパニック寸前( ;∀;)
車を運転するときに必要なのが「前方の情報を如何に早くキャッチできるか」なのですが、冬道ではいつも以上にこれが必要になることを切実に感じます( ;∀;)

いままでの道路の感覚で運転していたら絶対事故を起こすであろう北海道の雪道。
なんせ、雪山によって道路は狭くなり、周りの自動車も早く行こうとしています。さらに、雪山によって歩道の状況が見えなくて、特に横断歩道の辺りに人がいるかどうかは直前まで確認しないと分かりません。
…こんな状況でよく運転できたなぁ…と周りの運転ができる人の上手さをしみじみと実感。

しかし、その中で感じたのは「切実であること」の重要性。
「油断すると事故を起こすかもしれない」という緊張感は切実さを生んで、「周囲の情報をいち早くキャッチしよう」と一層集中します。
実際、一回前方のバスが乗降りのために止まっていることに気づいて、「これは行けるか…」と考えながら見ていたら、それを追い越す車がどんどん来たことに気づきました!
「このパターンもあるのかい!?」と泣きながら運転していましたが、同乗していた教官は「良く気付いたね」と褒めてくださいました。
そう、早く気付けば早く対処できるのです(止まるとか、スピードを落とすとか)

そういえば、私は「人より色々なものに気づく」ところがあります。
人が気づくようなことに対しては鈍感な傾向にありますが…(´・ω・`)
視覚的な情報を取得する能力は非常に高いです。処理は苦手ですが( ;∀;)
それはどうしてか長年理解できなかったのですが、

「考えることが見ることだ」

と摂理の御言葉であるように、私は常に「何かしら考えて観ている」から気づきやすいのだとうすうす感じつつあります。
数学においても「具体的に見える」段階になったらあとは「ひたすら観察するように、色々なパターンを考える」ことで問題が解けることが多いです。
見る、というよりは「観る」感覚です。

運転においてもこれが有利に働くということに気づきました。特に冬道ではいち早く情報を得れれば、早く対処できるから。
もうすぐ私も卒業試験になりますが…この感覚をしっかりと養い、安定した運転ができるようにしていきます。

…その前の教習、たぶんブラックアイスバーンでの運転になりそうです( ;∀;)主よ、お守りください…(´・ω・`)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。