摂理と考えの力、というより「御力」。

おはようございます、satoです。
摂理に来て一番感じる楽しさが「祈るときに考えることで深い悟りが得られて楽しい(^o^)丿」というものです。

もう少し詳しく書くと「自分が詰まった・考えていなかった部分について、御言葉をもとに考えてみると、悟った!という感覚が来て」楽しくなる、というわけです。
この「考える」という行ない、実はとてつもない力を持っているのです…!

よく「いいと分かっていても行えない」とか「やろうと決心したけど忘れてしまってた…」とかなるとき、ありますよね?実はこれ、「考え」が弱いからなんです。
つまり「いいけど…」とか「やろう!…後で」と「ぼやかす」考えを入れると考えがまとまらず…結果的に行なえなくなるのです。
また、普段あまり「考えていない」人だと「やろう!」と考えが浮かんでもあまり考えないので、すぐに忘れてしまいます。私はこのパターンが多い…。

逆に言えば、「絶対やる!明日の10時!5人!」という考えに集中することで考えが強くなり、実際に行なうことができます。あと、個人的には「文字」で考えるより「体を動かす」ように考える方が行う力が強くなります。これは私の感覚なのですが…。
ちなみに「自分の行ないとは直接関係ない」考えを入れると自然に行なう考えの力は弱くなります。

私は摂理に来る前、考えがぼうっとしていた人間でした。
それは私がずっと「漫画・アニメ・空想世界」のことばかり考えていたから。
それだと現実のことはほとんど何も考えられないですよね…。

人間、いろいろ考えられるようで結局「一つの考え」しか脳には入りません。
逆に言えば、主を呼ぶことによって「主のことを考えている」時はたとえ自分が好きなものでも中毒になっているものでも一切考えることが出来ません(笑)
そういうわけで…
私たちは神様に向かう考えを絶やさないようにしなければなりません!!これ超重要!

神様と一緒にいる感覚が湧かないなら「御言葉を毎日読む!」、分からないなら「絵でも描いて理解する!」、主との愛が分からないなら「とにかく呼んでみる!」
これくらいは行わないと!ですよね!私も行ないます!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。