ずっと「休みたかった」、過去と今。

おはようございます、satoです。

小学校の時、ずっと「学校を休みたい」と思っていました。
自分がすべきものを忘れていて、先生に怒られるのが怖くて。
友達とうまくいかなくて。
ひたすら、学校に行きたくありませんでした。

でも、私は「37℃以上の熱がないと休めない」と思っていたし、親もそういう認識だったので、風邪を引かない限りはずっと学校に行っていました。

中学校の時、一人でいたいと思っていました。
周りの人と合わせなければならないのが、とても苦痛で。
でも、少しでも違うとなじられるから、合わせなければならなくて。
だから、一人でいたいと思っていました。

だから、ずっと私は「自分が休む理由」を探していました。
何かの病気、何かの怪我、何かの事情…なんでも良いから、とにかく「休みたかった」のです。

また、「怒られること」を避けていました。
怒られることが、嫌われることと重なっていたから。だから、とにかく「怒られないこと」ばかりを望んでいました。

そして、「一人でいること」を求めました。
誰かと接したいという気持ちもありましたが、それ以上に「合わせる」ことに疲れていたのです。

その感情が、今でも、私を縛っていました。
私の行動の一つ一つに、それが隠れていたのです。

神様を愛そうとしても、ちょっと距離を取ってしまう。熱心な姿を見ると、ほんの僅かに引いてしまう。
それは「ずっといると神様に『合わせなければならない』から」という感情から。

学校のことでなにか辛いことがあると、上手く行かないことがあると、逃げ出してしまう。
それは「辛いことから逃げ出したい」という過去の感情から。

自分に非がある、ということ、たとえば勉強していないとか…そういうことがあると、自分の中に「言い訳」を作ってしまう。
それは「本当のことを話して『怒られる・否定される』ことを恐れていた」から。

そうして、私は「自分のすべきことができていない」事実から目を逸らしていたのです。

でも、それが…「自分の成長する機会」を奪っていました。そのことを、とても痛感しました。
できていないところ、足りないところを指摘されるのは、嫌うためでも、攻撃するためでもなく、殆どの場合は「出来るようにするため」でした。
辛いことはあっても、大変なことはあっても、それを通して「自分が磨かれ、成長する」機会になりました。
神様がずっとそばに居て欲しいのは、ただ「愛してほしい」という思いであって、ただ心を委ねてほしい、信頼してほしい、という思いからでした。

それをすべて、私の感情が「阻害」していたのです。
感情に囚われていて、私は成長の機会を多く逃していたのでした。

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…しかし…

確かに、多くの成長の機会を逃しました。
しかし、それでも、私は感謝だ、と告白したいです。

私は、「自分が休む理由」を探して、「出来ない言い訳」を探していました。
それに加えて、自分がそもそもこれらを探す理由である「忘れ物が多い」「集中力が切れる」「やる気がでない」原因を探していました。
ちょっとネガティブな要素もありますが、この結果私は「自分が発達障害の傾向にある」ということを突き止めました。
最初は「出来ない言い訳」に使われていたところもありましたが、少しずつ自分の「特性」に気づき、それを活かせるようになりました。

摂理に来て、「心の問題」にぶつかった時、正直それを言い訳にして「自分がすべきこと」から逃げていたところもありました。
やり方としては非常に良くないですが、しかし、自分の心と向き合いながら本当に心に残っている「自分の過去の感情」と向き合い、一つ一つ解いていきました。
そして、それが神様との愛の経緯になりました。

また、自分の足りなさ・失敗にぶつかった時、自分が怒られることに対する恐怖と「自分がどうしようもない存在である」という感覚に陥るまでになりました。しかし、それを一つ一つ御言葉で、感動で、祈りで乗り越えることで、段々と「失敗しても大丈夫」という感覚、そして「自分は出来る」という感覚が芽生えてきました。
そうしていく中で、「言い訳すること」より「失敗を繰り返さないで、ちゃんと行なうこと」の方にもっと心が行くようになりました。

そして、今。
自分が逃げていた「すべきこと」と向き合えるようになりました。
勉強すること、信仰生活の様々な面でこれまでできていなかった/しなかったこと…様々に。
そして、少しずつ、でも確実に行えている、ということもまた事実です。

時間は掛かったかもしれない。遅れていることは確実。
それでも、やっと私は「逃げること」から抜けだして、前に進み始めている。
もちろん、怒られることへの恐怖が出る時だってあるけれど、それよりももっと出る感情がある。
それは、「やってみよう!」という気持ち。

そういう自分の成長も認め、これから先を熱心に走って行きたいです。
今までの時間の分も越えるくらいに。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。