最近抱えていたモヤモヤと個性と祈りながらやることについて

おはようございます、satoです。
今日はここ最近ずっとモヤモヤしていたことについて書きまとめようと思いました。

実は、ここ最近いくつかモヤモヤしていたことがありました。そのことをちょっと整理してみたいと思います。

2つの大きなモヤモヤ

デュエプレコラボを切ったことへのモヤモヤ

まず、1つ目はデュエプレをしていないことについてです。
以前から書いているように、私は現在信仰生活の見直しのため、漫画やアニメ・ゲームを一切やらないで生活をしています。
万一見てしまった場合は、相談先に相談と報告をするという形を取っています。その中でここしばらくやっていたデュエプレもやっていないのですが、実はこのことで少しモヤモヤしていました。

正確にはデュエプレをしていないこと、でなく『五等分の花嫁』コラボをやっている最中に出来なかったことに対して、めちゃくちゃモヤモヤしていました!!!!

最近の記事を読んでいると分かるように、私は五等分の花嫁が好きで、デュエプレでも五等分の花嫁のキャラモチーフデッキを作るほどの熱心さを持っていました。
そんな中で五等分の花嫁コラボ第二弾をやっていたら、普通なら当然やるじゃないですか??私は当然やります。
しかも、今回はある程度ネタバレをした上でのストーリー。デュエプレのコラボストーリーは結構原作の理解度が高く、とても満足する内容になっていますから、これはとても期待大です。(特に四葉と五月周り)

…という気持ちがある中ですが、この情報が来た時ちょうど指導者と相談して一切メディアを切ると決めたわけです。
それはもう大葛藤ですよ。指導者に何度やりたいなぁと言ったことか…。

しかし、結局私はやりませんでした。初志貫徹。
途中「こういう条件になったらやります」と祈ったこともありました。しかし、その条件は解消されて結局やりませんでした。
実際やっても良さそうでしたが、やらなかった理由は『五等分の花嫁∽』を見た時の神様との経緯、しるし(三玖の色紙が当たったこと等)をより大切にしたいという気持ちがあったからです。

さて、これを見た人はこのことについてどう言うでしょうか?
おそらく信仰を持っている人はえらい!やりたかったことを我慢してよく信仰を優先した!と言ってくれるでしょう。(実際言われました)
実際、それはそうだと思いますし、私もそう思います。ただですね…その一方で、私の中では割と「ズレてる」感じ…どうもスッキリしないものがありました。

だから、時たまどうしてあの時やれなかったんだろう…という不満が出てくることがありました。

自分の「好き」に対する周りの理解へのモヤモヤ

これとは少し系統が違うモヤモヤが自分が好きなものへの周りの反応に対するモヤモヤです。
たとえば、私が『五等分の花嫁』好きであることは実は一部の教会の人に知られています。しかし、それに対する周りの反応に…若干ではありますがモヤモヤしている部分がありました。
なんというか自分はそこまで好きでないけど、好きなことは分かる、という反応にモヤモヤしてるんですよね。
もちろん、「自分」のことを理解してくれようとしている、受け入れてくれるのはありがたいです。でも、正直言うととりあえずスルーしてほしいなぁくらいの気持ちもあるんですよね。
どちらかと言えば、「作品」に対する理解をしてくれようとしている反応がほしいと思っています。本音を話すとそれを好きな自分より作品を見てほしい!!!!くらいはあります。オタクなので自分でなく作品の方です。

実は、いつも相談している牧師さんがあまりに私から『五等分の花嫁』の話を聞いていたので、上映中の映画を観に行ってくださったんですよね。で、感想を話してくださいました。そのことはとても嬉しいし、これを通して悟った話もあるのですが、その一方で「ちょっともどかしい…」って気持ちもありました。

これと似たような話である作品を通しての悟りに対して「なんでそんな良い悟りをラノベで…」と言われたときも割とショックでした。ちなみに、その悟りというのは各自が持つ「一番良い関係」というのは恋人であることもあれば、友達であることもある、それを新郎新婦と表現したのでは?ということです。さて、この悟りはどの作品を読んだ時のものでしょうか???ヒントはラノベです。

とまぁ、自分の抱えるモヤモヤを書いてみました。で、大事なのはここから。
このモヤモヤはどこから来るのか、どの認識を直すべきか、このモヤモヤから何を悟るべきかです。

モヤモヤの分析

その解決のきっかけとなったのがこちらの記事です。

漫画を通してのもがきと葛藤、そして悟り@光のアトリエ

こちら、摂理の中で漫画を描いているリケジョのMiKさんによるもがきの記事です。
つい最近、『CONQUEST-死に打ち勝った者-』という作品を完結させましたが、その過程でのもがきと悟りの話でした。
ちなみに、その漫画はこちらになります。私はホントに終盤間近に一気読みしまして、とても面白かったです!!!
良い意味で宗教っぽくなく、とても読みやすい漫画となっています。リンクは一部から。

【CONQUEST ― 死に打ち勝った者 ―】第一部「暗流」

さて、最初に紹介した記事の中から、私が強く共感したところを引用します。

夢を捨てた当時の状況を考えてみると、御言葉の流れや霊的な状況としても、漫画家の夢を持ったまま信仰生活をして漫画家を目指していくというのは難しかったと思います。
夢を捨てて、伝道・祈り・御言葉に投資したことで得られたことも多かったし、その後「霊的な」作品に携わってきたことで成長したことも多かったです。

そういう過程を通して私が霊肉成長したので、時になって神様が再び漫画を描けるように与えてくださったのだということを(頭で)理解はしました。

 

しかし、実際に今、信仰を持ちながら漫画家の道を歩んでいる人たちもいる中で、

「どうして私はそのような道じゃないのか」

「なぜ私は捨てなければならなかったのか」

そういう考えがぐるぐる頭を回って感情の整理が全く出来ませんでした。
無理やり切り捨てた故に当時整理できなかった感情や納得できていなかったこと等が自分の中で溢れ返りました。

MiKさんは元々少年漫画家になりたかったのですが、聖書の御言葉を学ぶ中でその夢を捨てることにしました。
しかし、今になって漫画を描くようになったことについて心の中で喜びつつも、当時どうして出来なかったのだろうか…という気持ちが出てきたというお話です。

この「無理やり切り捨てた故に当時整理・納得できなかったことがあふれる」という現象…私、本当に良く分かります!!!!

なぜなら、私も当時割と好きだったことを半ば無理やり切り捨てたことがたくさんあるからです!!!

たとえば、イラスト。現在もそうだったように、当時も空想の中で自分が気に入ったキャラを描くことがありました。
それも、当時はある程度信仰を持っていて共存している状態で…。言い換えると御言葉をテーマにして描いていたものもありました。

ところが、そのイラストをほとんど全て捨ててしまったのです…。゚(゚´Д`゚)゚。
おそらく当時の自分としては描いているキャラが女性であることが多いことからこんなものを神様の前に持っててはいけない!!!と極端に考えていたのだと思いますね。若干の狂気すら感じます。

正直言いますと、捨てたイラストの中にはかなり上手く描けていたものもあったのです。
だから、今割と強く後悔してます。なんで私はあれを捨ててしまったのだろうか…と。

この他にもピアノで弾くために私の気に入っていた曲の楽譜を買ったのですが、それも数日して捨ててしまいました。
どうしても、心に引っ掛かってしまったので…。

今にして思えば…ではありますが、これらの大半は罪かと言われればそうではないだろうと思われるものではあります。
当時の自分の信仰の状態とかを鑑みるとそれよりもっと重要なものがあるから、切り離したというのが正解なのです。そして、これは正しかった、と言っていいです。
ただ、その手段として完全に無くしてしまうというのはかなり極端で、取り返しのつかないことではあるなぁと思っていたのですが…。

まぁ、この辺りはある程度折り合いがついていますし、今更どうしようもないので…(完全解決にはもう少し時間がかかりそうではあります)

で、今回のモヤモヤ、特に1番目はまさにこのタイプです。

結論:それが私の個性である

それに対する答えも同じく、MiKさんの記事から来ました。

きゅうりサラダから悟ったこと@天のアトリエ

とても面白いので是非読んでみてほしいです。

この記事を読んでわかったのは、これらのモヤモヤは自分の個性を理解することで解けるということです。

より大きな御心を成すために

まず、デュエプレをやらなかった、正確には五等分の花嫁コラボをスルーしたことについて。
これは明確でより核心の自分の個性、神様が与えた使命と祝福のためにすべきことをするための時期と被っていたです。
事実、デュエプレをしなかったことである一つのすべきことをできるようになりました。
それが、公募に応募するための書類作成です。

ゲーム・マンガ・アニメ好きの私、それはそれで一つの個性とも言えますが、それ以上に私の大事な個性があります。
それが数学研究をしていること、数学が好きで、深く知っていることです。
博士課程を修了し、現在教育関連で仕事をしていますがこれが性に合っているという感じがします。正直とても良いです。
ただ、それだけだとやはり次の段階に行くことができません。次の段階に行くためには…やはり安定した土台が必要となります。

ここで、公募というのは簡単に言いますと各大学が「大学教員」の求人を出すことです。
公募に応募し、採用される、ということは大学で常勤として雇用され、研究できるということです。

実は、このタイミングでちょうどいい条件の公募が届いておりました。しかも複数件。
しかし、そのために書くべき書類が…どうしても書けませんでした。なんか苦手でスルーしてしまったのです。
ところが、神様は助けてくださる人を送ってくださり、様々な条件をクリアすることにより奇跡的に書類作成が間に合い、無事に応募することができました。

この感覚からすると、私が次の段階に行くべきときが来たのかなと感じます。少なくとも、今までのような働き方ではなく、もっと安定した仕事を与えてくださろうと神様が働きかけているのを感じます。

はっきり言いますが、デュエプレをやっている場合ではなかったのです!!!仕方ない!!!

それと…これはなんとなくではありますがデュエプレをやること自体が止められているというよりは、「今は」違うって感じなんですよね。どっかでやれる機会があるような気もします。
それはこれまでやってきた中で神様が共にしてくださったような感覚もしているからです。

自分が好きなのも個性

そして、私が『五等分の花嫁』を含めた色々の作品が好きなのも個性から来ているのだなと考えると、2つ目のモヤモヤはだいぶ解けてきました。

今回気づいたことで今までの認識がズレていたなぁと感じたのは

自分が好きであることが個性ではなく、作品を通して神様と近づけるのが個性

である、ということです。
たとえば、世間には五等分の花嫁好きは多いし、摂理で信仰生活をしている人はそれなりに多いです。
しかし、その中で神様にお祈りして映画を観に行こうとしたり、特典を得る過程で神様との経緯を作ったり、四葉を通してキリストの立場の心情を感じたりする人は、おそらく私以外いないでしょう。むしろ、いたら教えてください!!!
そういう意味で私にとって『五等分の花嫁』とは神様に近づくための一つのアプローチなのです。実際、映画を観に行く過程を通して神様との経緯が深く出来ましたし、信仰のレベルが上がりました。

私の場合、作品を通して認識を改めることが割と多いのですが、それは説明だけだと理解ができず、イメージができなかったりするからです。だから、同じ内容でもマンガの方が深く入ります。ストーリー性があるのが有効なのか…?
その個性を分かっているから、神様は様々な作品を通して私の認識を改め御言葉を入りやすくしていると感じます。また、その経緯を通して以前より自分のことを理解したり、コントロールできるようになることもあります。
たとえば、前に書いた咲の松実玄のストーリーと経緯を経て脳内にある映像を任意で薄めることができるようになりました。実はこれまで「見た映像はだいたい心に残っていた」ために苦しんでいたのですが、それがキャンセルできるようになったわけです。これもおそらく認識の変化から来ているものと思います。

でも、それはあくまで私の個性。他の人が同じようにできるわけではありません。なぜなら他の人は他の方法で神様に近づく、神様と経緯を作ることができるからです。ある人は祈りや御言葉といった信仰生活、ある人は仕事、ある人は賛美、ある人は推し活…というように。
このことを理解した瞬間、周りの人が自分ほど好きでないことに対して、苦痛を感じなくなりました。個性だもん、仕方ないね。

もう一つ、私の個性として私は神様と近づけないことをするのが苦痛であるということも分かりました…というよりは、認めました。ある意味で無駄のない人間です(笑)
他の人はなんの理由もなく好きであることができるのかもしれませんが、私はそれが神様と繋がっていないと苦痛になってしまうのです。これは悟りを得るとか、神様の心情を感じるとか、それだけでなく神様とやり取りができればOKくらいですが。数学はこの条件を満たしていたりします。
なんなら、推し活をする際には信仰が著しく良くなります。なんででしょう?(笑)

内容は異なれど、私の本質はある意味変わりません。全てのことに神様が必要なのです。

神様が与えたものを貶めてはいけない

次に、周りの反応にモヤモヤしていることについて。
これは、実際のところ自分自身が好きな作品に対して、心の何処かで「これは本当に良いんだろうか…?」と考えていたところがあったのが大きな原因です。

私が好きな作品って割といわゆる美少女アニメが多いんです。でも、そのことに何処か恥ずかしさを感じていた部分がありました。
元々男兄弟が多い中で、自分が割と早めに美少女アニメを好きになって、そこにハマっていたのですが、その一方でどうしても恥ずかしさが拭えなかったんです。

でも、この美少女アニメという枠組みで強く縛っているのは自分である、と考えを改めました。
一つ一つの作品を見てほしいと思いながら、何より自分がその枠組で作品を捉えている。そうやって、その作品、あるいはそれを好きな自分に劣等感を感じている。それが問題です。
ここで聖句を一つ。

10:9翌日、この三人が旅をつづけて町の近くにきたころ、ペテロは祈をするため屋上にのぼった。時は昼の十二時ごろであった。 10:10彼は空腹をおぼえて、何か食べたいと思った。そして、人々が食事の用意をしている間に、夢心地になった。 10:11すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。 10:12その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。 10:13そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。 10:14ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。 10:15すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。 10:16こんなことが三度もあってから、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。

口語訳聖書使徒行伝10章9-16節

結局のところ、神様が与えたものを清くないと言ってはいけないのです。特に、神様との経緯や悟りを得たものに対しては。
これは私自身の認識を強く改めないといけません。否定しちゃダメです。本当に悔い改めます。

一方で作品を好きになってもらうことを求めて、自分のように好きな人を得ようとすることもまた問題です。なぜならそれは自分の目的を成そうとしているし、その人の個性ではない(かもしれない)からです。
自分のように熱い情熱を持って愛することができるのは自分だけ。それは割り切りましょう。

私は結構自分の好きなものが「あまり多くの人が好きでないもの」と認識していて、無意識のうちに「周りから否定される」と考えていました。それが、デュエプレをしなかったことに対する「えらい!」という反応への違和感の正体でした。
つまり、ゲームやアニメに対して悪く思っているのでは??と勘違いしていたのですね。そんなことはないのに。

自分の考えでやっていないかどうか、という不安への解答

さて、このモヤモヤの話をいつも相談している牧師さんにもお話ししました。
最近御言葉で自分の目的を成すために信仰生活を行なってはいけない、神様の御心を成すために行いなさいとよく話されていたので気になっていたのです。その際に牧師さんが的確な答えをくださったのですが、それが

何をするにしても、お祈りしながらやった方がいい

ということです。アーメン。本当にそう。

神様が一番願われているのは自分と一緒に行うこと、常に私が神様と共にすることですが、具体的な行動として神様が何をしてほしいか、ということについてはあまり話されていません。
これは本当に自分が神様のためにして差し上げたいことをすることなら何でも喜ぶことであり、同時にどんなに信仰的なことをしていても、共にしなければズレてしまうということでもあります。

私はどうしても「やっていること」が神様にふさわしいかどうかで判断しがちだったのですが、(それが分かりやすいですが)それ以上にどれくらい神様と一緒にやっているのかが大事だったんです。そのことを忘れていました。
で、私は割と面倒でお祈りすっとばしてやったりするんですよね…((((;゚Д゚))))これが自分の不安の根源でした。

そういうわけで、これからはお祈りをしてなんでもやってみようと思いました。頑張ります(:3[▓▓]

気分が悪くても、神様に対しては良く接しましょう

と、こういう話をしているうちに、さっき聞いた御言葉で

自分が気分を害していても、神様に対しては喜んで接しましょう

と出ました。これ、私がやらかしがちなのですが…怒っていたり悔しかったりすると神様に対して不平不満漏らしてることが…((((;゚Д゚))))本当にごめんなさい!!!!!悔い改めます。

実際、神様が止めていることは殆ど無いです(大体自分で決めてやっていること。たとえばデュエプレをやらないことについては前に書いたように∽を見た時の経緯を大事にしたかったから、という風に決めている)し、止める場合は自分の害になるからだと考えていいです。なのに、自分がうまくいかないときに不満を漏らすのは良くない。世間ではそれを八つ当たりと言います。

以上、私のモヤモヤとその分析、折り合いをつけたお話でした。誰かの参考になれば幸いです(笑)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。