こんばんは、satoです。
今日は鄭明析先生の明け方の箴言から「自分の心に素直になれる、自分を許せる」ものをピックアップしたいと思います。
というのも…。
私は摂理の中でも有数(当社比)の天邪鬼でした。
どんなに自分が褒められても納得しない。恥ずかしいこともあるけど、認められない。
どんなに人がいいと思って「あ、それいいかも…」と思ってもなんか反発しちゃう。
本当は神様に「愛してるーーー!!」って思いっきり叫びたくても、なんか恥ずかしくてできない。
…もちろん年齢の問題もあると思います。
「年を取ると、そういうことが恥ずかしくなる」というある牧師さんの言葉もありました。
しかし!
私はもっと素直になりたい!
少なくとも「自分がいいと思っているのに、それに従えない」自分と争っている状態からは抜け出したい!
と思っているのです。
実はこれ、私が摂理に来てからの一番の問題でした。
摂理の礼拝に初めて出たときの御言葉が、その人の人生を象徴する、という話もありましたが…。
私の初礼拝のときの主日御言葉の主題は
分かれ争う者は荒廃する
でした。
伝えてくれた牧師さん曰く「あー、satoにピッタリだ…」とのこと(笑)
このときは私もよくわかりませんでしたが、摂理で信仰生活をしているとそれがよくわかりました。
どんなに御言葉がいいな、と思っても、自分がやりたいこととかぶるとめっちゃ争うということがよくあったからです。
あと、どんなに頑張っても「自分は大したことない」「自分はダメなやつだ」と自分の努力を認めないということも。自分がとても嫌いだったんですね(笑)
そんな私が、少しずつでも自分を好きになり、素直になれるようになったのは鄭明析先生の御言葉のおかげ。
今日は私を変えた御言葉から何点かピックアップしたいと思います。
<自分>が愛を感じてこそ、
「神様と聖霊様と御子が自分を愛しているということ」を感じる。
聖三位はすでにその人が生まれる前から愛してくださり、
先祖の時からその人のために先祖たちまで愛して導いてくださった。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ Mannam & Daehwa
そう、聖三位は私が生まれる前から私を愛して下さっているんですよね!
人間は誰でも「個性の王」だから、誰も見くびらずに、
「王」のように貴重に接しなければならない。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ Mannam & Daehwa
人間は誰でも「個性の王様」と神様はおっしゃいました。「誰でも」!王様なんです!
だから、自分も「王様」のように大切な存在なんですよ。
人間も誰でも<長所>と<短所>が共にある。
しかし作って成長すれば<短所>がなくなる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ Mannam & Daehwa
自分に素直になれないときって、たいてい「自分の悪いところ」だけを見ている場合がほとんどです。
しかし、自分には必ず「長所、自分のいいところ」があります。そこを見て、鍛えていけば弱点をカバーできますぜ!
誰が自分を治めるだろうか。自分を治める人は「自分」から出てくる。
すなわち心だ。精神だ。考えだ。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より@ Mannam & Daehwa
誰かに求めるのではなく。
自分が自分を認めてあげて、自分をコントロールできるように作っていきます。
まだまだいろいろあるのですが、いいものがあったらまたお教えしますね!(*^。^*)
私も神様の愛を受けて、自分を許して自分を愛せるように頑張ります!
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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