摂理人の賛美物語。

こんばんは、satoです。
ここ最近、朝起きられず、なかなか賛美が歌えていませんでした。
摂理では毎日明け方に礼拝があるのですが、そこで賛美を捧げるのですが、そこに参加できず、祈れてなくて心が定まらず、無気力のまま一日を過ごす…そういう毎日でした。
さらに、最近賛美をしても集中がなかなかできず、あまり満足に捧げられなかったのです。
賛美は歌ですが、ただ歌うだけでは意味がありません。そこに「神様の前に捧げる」という思いと真心がないと、ただ歌って終わりです。
それで、私はふと感動のままに私のお気に入り賛美スポットに行きました。
そこは冬になると月明洞のように感じられる場所で、私が一番信仰で苦しんでいたとき主の前に祈って…というより叫んで、賛美していた場所なのです。
なかなか心が定まらない私でしたが、色々告白して、神様がいるということを信じる告白をして、それから賛美をしたところ…
空には、きれいな月が。
夜空と流れる雲。
その雲から照らされる月。
それが、神様の目に見えて、神様が見ていることを確信しました。
感動のあまり、私はもう一曲賛美を捧げました!(*^^*)
色々気になることもあるし、心配もある。
でも、それすらも祈ることで乗り越える。
その信仰を思いだし、もう一度祈ったらスッキリ祈れました。
やはり、賛美を捧げるのはいいですね♪

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。