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「私」という摂理の賛美がとても心に響く

おはようございます、satoです。

つい最近、名古屋教会の聖歌隊が捧げた「私」という賛美がYoutubeにアップされていました。

//www.youtube.com/embed/8bAb29-8ggI

こちらもご参照ください→摂理の聖歌隊賛美『私』-摂理のユートピアだより
ちなみに、動画の写真はSolさんがチョイスしているのだとか。

実は私も今年に入ってずっとこの賛美を捧げています。
というのも、私が新年になりお祈りスポットで賛美と祈りを捧げているのですが、その賛美の中にほぼ毎日「私」が入っているのでした。
初めて歌った時からとても感動があって、この賛美がとてもお気に入りなのです。

この歌詞は元々鄭明析先生が作られた詩であります。
先程紹介した記事の中に歌詞があるのでここでは割愛させていただきますが…。

サビの部分の
この体で私のため 家族のため 民族のため 世界のため 天宙のため 未練もなく使っていこう」という歌詞がとても好きでした。
とても熱くなります。歌うたびに熱くなります。

そして、最近は冒頭の「木の葉船に千年の夢乗せ 私は希望で櫓を漕ぐ」という歌詞にとても感動します。
木の葉船というのは韓国語では조각배と書かれていまして、意味は

水上に遠く浮かんで見える小舟を木の葉に見立てていう語。
また、水の上に散って浮いている木の葉を舟に見立てていう語。はかないもの、頼りないもののたとえに用いる。

とのことです。
この歌詞を聞きながら、たかだか100年位しか生きられない小さな私の中に千年続く御心が乗せられている…と考えると胸が熱くなります。
自分という存在は小さいものですが、こんな小さい私を神様が用いてくださることに、本当に感謝です。この辺りは最初に挙げた部分にも共通しています。

私自身自分の価値を全く悟れず、自分が大した事ないと認識していたところから摂理に来ました。
なので、自分が歴史を成すのだ…という話を聞くととても負担に感じました。「失敗したらどうしよう…」なんて。
でも、神様の御言葉を聞きながら、自分と向き合いながら神様の愛を深く受け入れるにつれ、自分の価値が少しずつ理解できるようになりました。
それに合わせて、自分が神様に使われることに対しても感謝できるようになりました。

未だに自分が神様に使われる、ということが奇跡のように感じられます。
その感謝と感激の想いを忘れることなく、日々自分を作っていきたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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