教会の人を通して、「笑いの天使」がやってきた。

こんばんは、satoです。

摂理では面白いことが起きると「『笑いの天使』が来た」、という表現をすることがあります。
たとえば、真面目な人が何か面白いことをすると爆笑するとか、そういうときに使う表現です。
この表現で言うと…私の行ってる教会には『笑いの天使』がそばにいるのではないか、というくらい面白い人がたくさんいます(笑)

いや、みんな真面目だし、とても信仰に熱い方なのですが…どこか面白いんですよね。

例えば、以前私と一緒にいた教会の人が、ある時突然私のものまねをし始めました。おそらく私をからかうためにしていたことなのだと思うのですが、このものまねが非常に特徴を捉えていて、とても似ていました。それも、とても面白い(笑)
あまりに似ていたので爆笑してしまいました(笑)
ちなみに、この後色々な人のモノマネをしてもらいましたが、どれもすぐに分かるくらい特徴を捉えていました。今まで一緒にいたのですが、こんな才能があったとは…(笑)また一つ、神様の下で才能が覚醒しました(笑)

おかげで、その時にあった自分の暗い感情も、自己否定的な感情も吹っ飛びました。あまりに面白すぎて笑っているうちに力が出ました。笑わせてくださった神様に本当に感謝します。

神様は私たちに喜びを与えて下さいます。だから、摂理では「笑い」が絶えません。

<全能者からもらって喜んで笑うこと>は本当に大きい。肉の人生、一生まで続き、霊、永遠まで続く。

このような箴言が摂理の御言葉として伝えられましたが、確かに摂理の中の笑いって、どことなく「力をもらえる」んですよね。
自分の暗い感情を吹き飛ばして、また明日頑張ろう!という笑いなんです。実際、今でも思い出すたびに笑ってしまいそうになります(笑)

御言葉も堅苦しいように聞こえますが、鄭明析先生の御言葉って、時たま面白いところがあるんですよ。(韓国語からの翻訳で、笑うところを逃していることはあるみたいですけど。韓国の摂理の方々は皆さん御言葉中にウケています)
また、賛美をしていると本当に楽しくなって笑いがこみ上げることもあります。
しかし、それだけでなく上のような面白いことから来る笑いでも力がもらえたりします。
本当に、神様は笑わせるプロです。

笑いというのは本当に大きな力を持っています。
一人では暗くなりそうな雰囲気も吹き飛ばしてしまう、寂しさも怒りも、自己否定も吹っ飛ばせるくらい大きな力が。
だから、私達ももっと「笑って」生きていきたいですね。
上の箴言にもありましたが、永遠に続く「神様から与えられる」笑いで満たされたいです。

ところで、教会の人は面白い人が多いと書きましたが、私はどうか…ですか?
実は、私もどうやら笑いの天使が働きかけてくださっているみたいです。それも相当…(笑)
唯一の弱点は、自分でコントロール出来ず時たま空気を読まず発動することでしょうか(笑)

時たま失敗しても、それが笑いに変わってしまうことが多いです。
以前あったのは出し物をしていた時にかなり大変な失敗(具体的にはディアボロで蛍光灯を割ってしまった…)が起きて、私は茫然自失していたのですが、周りのみんなはとても面白がっていた…ということですね。
あの時は本当にやらかした…とかなり深刻に考えていたのですが、周りの人を笑わせてくださって少し心が楽になりました…。
そのこともあって、ディアボロをする時には天井を気をつけるようになりました。今ではある程度振り回してもぶつけないようにコントロールできてます(この間のクリスマスの出し物で披露した際にもうまくできました)

私は失敗するとかなり深刻に考えてしまうのですが、それを笑いの天使がフォローしてくれることが多く、本当に助かっています。心から感謝します。(でも、失敗しないことが一番なので本当に気をつけます)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。