神様に栄光を帰して感じた「私の位置」と従順。

おはようございます、satoです。

修養会、あっという間に終わり、ただいま帰路についています。受けた恵みを忘れないため、今日もブログを更新します。

今回は天の前に栄光を帰す時間がとても多かったように思います。月明洞に行くといつも以上に賛美を捧げることが多くなりますが、今回は特に前に出て栄光を帰す機会が多かったです。

実は、今年に入って礼拝の時前に出て賛美を導く使命をいただいたり、機会がある毎に前に出てダンスで栄光を帰したりと、前に出る機会が増えてきました。

これまではどちらかといえばバックで補助する役割が多かった、というかそれがメインでした。しかし、今年前に出て栄光を帰す使命をいただいてから改めて分かったのは私は「天の前に栄光を帰し、感謝を捧げる」ことがとても好きで、信仰的にもとても調子が良くなるということでした。

実際、私は韓国語の賛美を聞くことが好きで、なにか作業する時は必ずといっていいほど賛美を聞いてます。お陰さまで韓国語でも賛美を捧げられるようになりました。

あと、ダンスも好きで摂理に来てからしばらくはそのような使命をしていたこともありました。こっちの方は私の心の問題にぶつかったときに一度やめていたのですが…。

今回の修養会で捧げた出し物では、私はなんと前に出てダンスをするメンバーになりました。さらにその人たちで「ダンスの振り付けを作る」という、私にとって未知のことをすることに…(((^^;)このときは本当に神様を呼び求めました…。この辺りの話、詳細は次にしようと思います。

さらに、今日も月明洞で作業する人たちが集まって賛美を捧げる時間があったのですが、その際私が感動を受けて踊っていたらある人から「前に出て捧げたら?」と薦められました。ところが、私は「この踊りまだ完璧でないので…」と断ってしまいました。

それでも踊っていたら「前に出て捧げようよ」と別の方から薦められました。しかし、私は「いや、まだ完璧でないので…」と断りました。しかし、この時点で「前に出て捧げたいなぁ」という感動はありますた。

そうしたら、また別の方から「前に出たら?」と薦められました。…なんと三回、別の方から薦められたのです。もうこれは「神様の願い」だと分かった私は、前に出て捧げました。忘れてる部分ありましたけど、分かってるところに集中して喜びで栄光を帰していきました。

ちょうど捧げていた賛美がこの修養会の時に初めて聞いた&見た振り付けだったのですが、本当に感動する賛美だったので、本当に心から喜んで、楽しんで賛美を捧げました。

そうしたところ、複数の方から「恵みを受けた」という話を聞きました…(^-^)本当に感謝です。

このことを書いていて悟ったのは

「神様が出なさいというときはできなくても出るのが大事」

ということです。私も今回全然覚えきれてない段階で前に出ましたが、それでも「心から賛美を捧げる」姿が神様にとって喜びになるのです。だから、見ている人に感動を与えて「恵みを受けた」のだと思います。神様の前では「従順」が最も喜ばれます。

私なんかは「ちゃんとできないと『何で前に出たんだ?』と思われるかも」と人の目を気にしてしまっていましたが、そもそも神様の視点は全く異なる、ということですね。そもそも、神様の前では完璧な人はいませんし…(笑)

そういう意味では、摂理では「お調子者」なくらいの方がちょうどいいのかもしれませんね…。日本では爪弾きにされやすい傾向にありますが、天の前で「誰かできる人ー」って言われたときに出られる、という意味では。(もっとも、神様が出なさいって言ってないのに出たらそれはそれで問題なのですが…(((^^;))

何はともあれ、生活の中でもこの感覚を忘れずに神様の前に栄光を帰してながらいつも喜んでいこうと思います。それが「理想世界」ですから。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。