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宗教と聞くと不安に思うのはどうして?

こんばんは、satoです。

日本人は「宗教」と聞くと主に二つの反応を示します。
1.不安。なんか怖い…。
2.科学的に発達した今となって「神秘的な」宗教を信じるのは時代遅れ。

ネットで見るのは後者が多いですが、実際に会うときに前者も幾人かいます。
なので、今日は「不安」に思う理由を分析してみたいと思います。

「不安」に思う宗教というのは、割と新しい。

まず、宗教と聞いて「不安」に感じるときにもいろいろあります。
「宗教の名前」を聞いて不安に思う場合、その宗教は「新しく作られた」宗教、新興宗教であることがほとんどです。
たとえば、「キリスト教の教会」からパーティーに誘われたときに不安に思う人は少ないと思います。
ちゃんと名のある仏教の人と会ってもそこまで不安には思わない…気がします。
もちろん、これらの宗教を嫌っている人とか信じない人はいますが、それは「不安」とは異なります。

キリスト教や仏教はすでに長い伝統がある宗教で、何をしているのか、どのような信仰を持っているのかもある程度は知られています。
これに対して新興宗教はそもそも伝統がなく、何をしているのかよく分からないし、何を目的としているのかもよく分かっていません。これが「不安」に思う一つの要素です。
これに加えて、日本の場合は「地下鉄サリン事件」や様々な詐欺事件などで新興宗教が「犯罪行為」の温床となっているケースがたくさんありました。
これによって、新興宗教と聞くと「反社会的なことを目的としている」と警戒するような世論ができていました。
摂理を含めた新興宗教がその実態を知らないまま「カルト宗教」と呼ばれているのはこの流れの一つです。

まとめると、宗教の名前を聞いて不安に思う原因は「目的と実態がよく分からない」ということです。

摂理の場合、

神様とイエス様の教えと愛を実践することによって、真に平和な世界の実現を目指しています。(中略)

私たちはイエス・キリストを信じ、その愛と福音を伝えることをミッションとしています。

と、その目的が公式サイトに書かれています。
しかし、もしその実態がこの目的と違っているとしたら、やはり不安に思うでしょう。
言葉ではいくらでもいいことが言えます。しかし、その行いは隠すことができません。

私が見る限り、摂理で信仰を持つ人はこの目的を成すため、それぞれの生活で日々神様を愛して御言葉によって自分を成長させようと努力しています。
真に平和な世界を成すため、まずは自分から争う心を捨てて自分の周りで平和を成そうとしています。
また、イエス様の愛を伝えるために、言葉だけでなくその行いで愛を実践しています。これは鄭明析先生が示してくださった姿勢でもあります。
私自身も摂理で信仰を持つものとして、この目的を成すために日々努力しています。とても足りないですが…。

日本人は「自分と異なるもの」に対して警戒する。

さて、宗教と聞いて不安に思う要素はもう一つありまして。
そもそも、日本人は「自分と異なるもの」に対して強い警戒心を持つことが多いです。
自分が理解できないものを遠ざけ、自分の理解できるものは受け入れる傾向がとても強いです。
先ほど書いた「伝統と異なるもの」に対する警戒心が強い、ということはこの傾向の現れでもあります。

日本人の大半は【無宗教】です。親が仏教や神道を信じている、とか仏壇や神棚が家にある、と言っても実際には「信仰は持っていない、一つの習慣として残っている」ということが多いです。
つまり、日本では「信仰を持たない」ということがスタンダードになっています。
そんな日本にあって「宗教を信じている」というのは「自分と異なるもの」と感じて、警戒されてしまうのかもしれません。

この「自分と異なるもの」に対する警戒心は、最近になって強くなっている気がします。
特にネットでは自分と異なるものに対して警戒心を越えて、攻撃することが多いです。特に政治や宗教に関してはかなりこの傾向が強いです。
ある程度有名なところでも、伝統と違う(これは反社会的ということではありません)宗教に対しての風当たりはとても強いです。

この「自分と異なるもの」に対して警戒する一方で、「自分と同じ考えの人で集まる」ということもあります。
これが強くなった結果起こるのが「いじめ」だったり、「同調圧力」です。そして、それに反するものがいると排除するという「生きにくい」社会が作られていきます。

話が逸れてしまいましたが、こういった背景もあって「宗教」に対して不安に思う日本人は割と多く、そのことが「宗教を信じる人」に対する警戒心を生んでいるということはあります。
特にゴシップのある宗教だとこの風当たりがさらに強く、世間から批判されることもあります。

「勧誘されるかも…」という不安

あと、宗教の中でも大事なことが「宣教活動」です。
なので、宗教を信じている人は皆「自分の信じているもの」について話をします。宣教活動に力を注いでいる人は「あなたも信じない?」と話をします。
ところが、宗教を信じていない人にとっては「いきなり『信じない?』と言われても…」とこの言葉にとても不安を感じます。
上のこともありますが、そもそも信じない人にとっては「未知の世界」で、そこに飛び込むにはかなりの勇気が必要です。

宗教によっては「人を増やさないといけない」という話を強くし、これをノルマのようにするところもあります。
そういうところにいる人の場合、不安を感じている人に対して半ば強引に引っ張ろうとすることがあります。
つまり、「とにかく一度来てみて!」と言われる、「とにかく信じなさい!」と言われる…という感じですね。ここまでくると「勧誘」ですね。
そして、これが信じていない人にとってさらなる不安を招くことになるわけです。特にこういう宗教に出会った人は、「宗教ってこういうものなんだ…」というイメージを抱いてしまうわけです。

そもそもなぜ宗教は「宣教活動」をするのでしょうか?
背景には色々なことがありますが、根本的には「自分が良いと思ったものを人にも薦めたい」「一人でも多くの人が信じることで良さを感じてほしい」という思いからであると私は感じています。
それ以外にも経済的な面だとか、場合によっては「人に宣教活動をすることが救いにつながる」と話しているところもあります。
宗教というのは「見えないもの、思想」が核なので「思想を伝える」という宣教活動が必要というのはなんとなくわかる気がします。
特に「これがいい!」と思った人がとにかく人に薦めるという心理は理解できます。だって、オタクもそういうことしますよね(笑)

ただ、「あの人はいいというけど、自分は…」という考えを持っている人はとても多いです。
そういう人にとっては「これがいい!」ととにかく薦められることは苦手なのかもしれません。やはり、自分でも本当にそれがいいのか確かめてから、受け取りたいですよね。
もちろん、過度に「自分はいい!」と言って心を閉ざしてしまうのはもったいないですが、しっかりと自分が「いい」と思いながら来てほしいな、と摂理にいる私は思います。
ちなみに、私も「とにかく薦められる」のはかなり苦手です。あと、人に自分のいいものを薦めることも…(笑)

色々書きましたが、「宗教と聞いて不安に感じる要素」についてはこれくらいかな、と思います。
「科学的でない、時代遅れ」という話についてはまたいずれ書きたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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