聖地で韓国語賛美を捧げる 前篇


おはようございます、satoです。

修養会で月明洞滞在をしていたときの話、続きます。
今回は韓国語で賛美を捧げる、ということについて起きた話についてです。
この話、昨年の月明洞訪問時の話で書けていなかったものとも大きく関わりまして、とても長くなりますので少しずつ更新していきます。

私が韓国語で賛美を歌ったきっかけ

そもそも私が韓国語で賛美を捧げるようになったきっかけは、韓国語で賛美を聞いていたことでした。
よく英語を勉強する時に「洋楽のCDを聞いてみる」というものがありますよね?
または、海外の人が日本のアニメを見て、それにハマって日本語を覚えていく、という話とか。
それと同じような感じで、韓国語で賛美を聞いているうちに、いつの間にか空耳で韓国語の賛美を歌っていました。

韓国語ってちょっと感情表現をしやすい言語、といいますか、感情をそのまま表現したような言語だなというのが個人的印象です。
「してください」というのが「~ソソ(소서)」で表現されるのですが、本当に敬う気持ちと、切実な愛願をしている感覚がしてとても好きでした。
「もっと清くなりたい、主の心のようになりたい」という賛美だったのですが、それが本当に切実で、心情に染み入りました。

この表現をきっかけにして、ハングルの読み方を少しずつ覚え、賛美を聞いてハングルに合わせて読み、訓練しているうちに一つずつ曲が歌えるようになりました。
一つ歌えるようになるとどんどんしたくなるのが人の心というもので、そこからしばらく韓国語で賛美を捧げることをしていました。

葛藤と感動

しかし、その一方で様々な葛藤がありました。
礼拝でも賛美を韓国語で捧げていたのですが、時々「自分だけ韓国語で捧げていて良いんだろうか?」ということが気になるのでした。
また、「よく意味も分からないのに韓国語で捧げて良いんだろうか?日本語の方がスッキリ捧げられるのかな?」と思ったときもありました。
さらに、時には人から「日本語で捧げたほうが良いのでは?」と言われることもありました。

そんな感じで迷っていたのですが、昨年月明洞に行く直前「摂理は韓国で始まって神様が働かれるのだから、やはり韓国語で賛美を捧げよう!」という考えが来ました。つまり、主を迎えるから韓国語で賛美を捧げよう、という考えになったのです。
その時に韓国語で捧げたら、とても胸がスッキリしました。人の目も気にすることなく、スッキリと。

続きは明日に。次回は月明洞で起きた一つのしるしについて書きます。

ABOUTこの記事をかいた人

「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。 軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。