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『回復訳聖書』を巡って~カルト(異端)と間違われた聖書~

『回復訳聖書』を巡って~カルト(異端)と間違われた聖書~

世の中には色々な聖書があるもので。その中には見慣れない聖書を持った人もいるのです。今日は、そんな聖書との出会いについて。

こんばんは、satoです。

春ですね。北海道も雪がすっかり解けて、若干肌寒いけど冬ほどではありません。
春になると、色々新たなものが芽生えます。大学には新入生、会社には新入社員。芽が出てすぐのものは気があって美味しいからか、多くの人が採っていきます。それと同じ…なのかはわかりませんが、大学にも新入生を取ろうとたくさんのサークルが新歓をしています。
実際、一年生の授業をする棟には授業終わりの新入生を狙って多くの人がわらわらと…。

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こちらは北大の新歓でよく使われる店の一つ『自由人舎 時館』のチキンカツカレーJサイズ。 最近リニューアルして、外観が綺麗に、ボリュームも心なしか多くなりました(笑)

その中にはいわゆるカルト、つまりみんなを騙して高額のお金を取るところとかもあるかもしれないので皆さん気をつけましょう!

本当に怖いですからね~カルトは。そういうところに入ったらお金をたくさん取られ、犯罪に加担するということもありますから。

それ以外にもこの時期になると『聖書を持って』教会に行って御言葉を聞きませんか?と話す人もいます。「伝道」する人たちです。

日本だとよく勘違いされがちですが、宗教と『カルト』(ここでは上に挙げた犯罪まがいのことをするような「反社会的カルト」)は全く違います。『カルト』が宗教の形を取るということはありますが、本来キリスト教を含めた(正しい)宗教に「強制」はありません。皆「自発的に来ること」を願っています。だから、各教派にはその理由を説明する「教理」があるし、それをまとめた「経典」があります。これは全てのことを強制的に、恐喝まがいのことをするような『カルト』とは異なります。

しかしながら、知らない人がいきなり「私、信じたいんです!」って来ることはまずありません。だって知らないものを信じることはできないでしょ?日本では特に聖書のことを知らない人がいます。だから、聖書について教えようとして人に声をかけているのです。そこには自分がいいと思っているからという自発的な思いがあるのです。

 

『回復訳聖書』、皆さんは、知っていますか?

 

前置きが長くなりました。

先日大学内を歩いていると一人の人に声をかけられました。しかも、英語で。どうやらその人は台湾人のようです。英語が不慣れな私は、「英語の勉強にいいかも…」と思ってしばらくたどたどしい英語で会話していると、聖書を出してきました。私も摂理で信仰を守るものとして、聖書はある程度読んできました。なので、もう少し話をしました。

実を言うと、今まではこういう風に声をかけられると、警戒度を上げて素っ気なく避けていました。だって、いきなり『聖書読みませんか?』って怪しいし…(私自身ある物語でそういう人書きましたけど、本当に怪しいと思いますよ)

で、その聖書をよくよく見てみるとそこには

『回復訳聖書』

とありました。
回復訳聖書?聞きなれないなぁ…。

見てみると、色々な注釈が…。怪しさMAX…。

話を聞いてみると、ギリシャ語の原典に立ち返って、失われていた部分をちゃんと翻訳している、だから『回復訳』なのだそうです。

なるほど、聖書によくある聞き慣れない言葉、難しい言葉に対して色々な注釈が書かれている、ということですね。

しかし人が話した言葉に対してすぐには信頼出来ない私(笑)その人たちと別れてすぐに回復訳聖書について調べてみました。すると、こんなことがわかりました。

かつて、カルトと間違われていた『回復訳聖書』

 

この聖書はリビング・ストリーム・ミニストリーと呼ばれるところから作られました。そして、これを作った人(と地方召会と呼ばれる団体)は「新約聖書をなんの先入観なく」実行しようとして、様々なことを行いました。しかし、その革新的な行いを見て、アメリカにある既存のクリスチャン団体が反対をしてきました。それによってここはとても大変な目に遭ったようです。カルトと間違われ、多くの人から反対をされました。

しかし、近年反対していたクリスチャン団体がこの団体の出している書籍やその行いを綿密に調べたり、代表者と話し合いをしました。その結果、この団体は異端でなく正統なキリスト教であるということを表明しました。また、神学者団体もこの団体の正統性を事細かに説明する文面を出しました。これによって、地方召会の行いがカルトであるということが否定されたのです。

ふむ、そんな歴史があったんですね。

実際、話してみると摂理の御言葉とは少し違うところがあるけれど、その信仰は『カルト』的なものではありませんでした。やはり知らないで判断するのは良くないですね。

見方で変わる『異端』、『カルト』と正しいもの

 

上の『回復訳聖書』を巡る経緯を通して、私は摂理のことを思います。

摂理も世の中では『カルト』と思われていますが、それは韓国のクリスチャン団体から反対されてきたこと、それと間違った報道によるネガティブキャンペーンが大きいです。(詳しくは『摂理の軌跡』というサイトを御覧ください)

けれど、実際摂理に来てみれば、摂理もまた『恐喝や脅迫、強制のない』ところでした。むしろ、指導者ですら「こんなに私を信じていいんかい!」ってくらいの善人が多いんですよね。だって、鄭明析先生がそんな方ですから。

ただ、どんなに良いところでも『見方が変われば』怪しく見えるもので。私自身最初は何も知らないがゆえに『回復訳聖書』という聖書を持った人を怪しんだように、「見慣れないものを怪しく思う」考えがあれば、怪しく見えるものです。

自分が納得して受け入れて行なうことでも、何も知らない人が見たら『マインドコントロールされている』って言われますし。キリスト教の「洗礼」も、見方によっては「人を水に沈める」恐ろしい行為に見えます…が、正統なわけですしね。結局自分が話を聞いて、自分が知らないと、正しいのか間違っているのかはわからないのです。確認が大事ですね。

というわけで、摂理も早いところ『カルト』という評価が改められることを祈るばかりです。

 

まとめ

 

1.春には多くの人が声をかけるけど、その中にはカルト団体もいるかもしれないので要注意!

2.カルト団体と宗教は全く違うものですよ。宗教は犯罪をしませんし、強制もないです。

3.『回復訳聖書』は聞き慣れないし『カルト』と間違われていたけど、キリスト教の流れに基づいたものですよ。そして、摂理もそうですよ。

4.何が正しいかを判断するのはあなた。多くの情報に惑わされず『確認』しましょう。その目と体でね。

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