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摂理で学んだ本当の信仰。

摂理で学んだ本当の信仰。

信仰って、本当は地道でコツコツ行くものなのよね。

 

こんばんは、satoです。

今日は摂理で初めて学んだ「信仰」について書きたいと思います…がその前に。

皆さんは「信仰」という言葉を聞いてどんなイメージが浮かびますか?

Let’s thinking!!

北海道の回転寿司。こちらは春限定品。
北海道の回転寿司。こちらは春限定品。
こちらも北海道の回転寿司。前にあるサーモン、東京の方が食べると感動するんです!その美味しさに!
こちらも北海道の回転寿司。前にあるサーモン、東京の方が食べると感動するんです!その美味しさに!

 

え、こんな写真見せられたら考えに集中できないって?…確かに。

今週摂理で伝えられた主日礼拝の御言葉、主題の一つが「考えを奪われるな」でした。

色々目に見えるものはあるけれど、その中で最優先にすべきものを選んで行いなさい!というのが核心の一つ。

というわけで、お寿司には目もくれずに続きに行っちゃいましょう(笑)

信仰というものの一般的イメージ

 

私の場合、信仰って「困ったときの神頼み」に近いイメージでした。なにか重要なときに神社とかに行って、「助けて!」って願う感じ。あるいは自分を存在させるために弱い人がすがる、というイメージ。

以上をまとめると「弱い人のための信仰」という感じでした。ちなみに、私はそこまで強い人間でないのでこういう信仰もなくはなかったです。

宗教をよく知らない皆さんにとって、このイメージはなんとなくわかるのではないでしょうか?

 

信仰についての聖句

 

しかし、キリスト教の教えの中心になっている聖書には、信仰についてこう書かれています。

ヘブル人への手紙11章節

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

そう、「望んでいる事が成されると信じ、それが起こるまでひたすら信じ続ける」というのが本当の信仰です。たとえそれがすぐに成されないとしても、環境が悪くなったとしても、ひたすら信じる。

実際、聖書の人物も多くの人が苦労していました。今日聖書を読んだときはヨセフの話でした。彼も夢で「兄弟を治める王になる」という神様の啓示を受けましたが、

兄弟に奴隷として売られ、

売られた先で忠誠を尽くしたのに主人の妻に濡れ衣を着せられて獄に入れられ、

そこでも不平不満を言わず仕事をし、給仕長の夢を解いてあげたのに、そのことを忘れられて二年間放置され…。

本当に苦労ばかりですよね、ヨセフ。でも、彼は泣き言を言いませんでした。少なくとも聖書にはそう書かれていません。

その結果、彼は王の夢を解き、エジプトの総理大臣になって兄弟を治めるようになりました。

 

これこそが「本当の信仰」です。

すぐに成されず、状況が悪くなっても不満を抱かず、

最後まで信じて最善を尽くす。

だから、本当の信仰は地道で、コツコツとしているんです。

私も摂理で信仰を学んで以降は「自分はもっと良くなるだろう、もっと生活も勉強も良くなるだろう」と信じて日々を過ごしています。そうでないと、正直辛いですよね。

でも、最後には華々しく輝く未来になると信じています。だって、聖書の主人公たちもそうだったのですから。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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