「救い論」と鼻骨骨折治療の過程。

おはようございます、satoです。
突然ですが、皆さんは大怪我をしたことはありますでしょうか?
私は幸い今まで滅多に大怪我をしたことがなく、小学生時代に「単眼鏡を覗きながら雪山をソリで滑ったら思いっきり地面に落ちて気絶した」くらいでした。入院も一回だけです。

上のエピソードからわかるかもしれませんが、私は好奇心が旺盛だったり、一つのことに集中すると他が吹っ飛ぶ(特に自分の安全)人なので結構無茶苦茶するのですが、幸か不幸か体の外部がかなり頑丈?なために擦り傷とかで済むことがしばしばでした。
そんな私の唯一大怪我したエピソード、それが「鼻骨骨折」事件。

かいつまんで説明すると、ある時の教会でのスポーツ中、アップでやったしっぽ取りゲームの最中に熱中しすぎて、私の鼻と相手の頭が衝突。結果として「頭突された」ような感じで私の鼻が骨折してしまったというものです。

病院で診察した際に「入院して麻酔して手術するか、その場で骨を戻して固定するか」の選択を迫られたのですが、当時の私は教会での用事もあったため「その場で骨を戻す」ことを選択。
お医者さんの手際が良かったのか、はたまた痛みに鈍感なのか…結果として一瞬の痛撃で元の位置に戻せました。
これにはお医者さんも驚いており、「普通は絶叫するくらいなんだけどね…」と言っていました。笑
その後鼻の中にガーゼを詰めて固定していたのですが…この経緯を通して悟った「メシア」について書きたいと思います。

私達自身では曲がった鼻を戻すことができなくても、専門のお医者さんなら簡単に戻すことができます。
このように、私たちが罪を犯して間違った方向に行っていたとしても自分自身で正しい位置に戻すのは難しいのです。まず、そもそも「正しい位置」がわかりませんし…分かったとしてもそれを戻す(これが救いです)人が必要です。
この戻す人が、神様から送られたメシア、救い主です。
神様を知らずに正しい位置にいなくて、本来の機能を発揮できていない私たちにとっては、メシアという存在が本当に必要なんです。どれくらい必要かというと…。

鼻骨骨折の治療の際にガーゼを詰めて元の位置にくっつくまで固定していたのですが…。実を言うとこれ、結構大変です。
まず、鼻で呼吸ができないために飲み込むことが難しいです。最初は結構苦労しました。そして、食べ物を食べようとしたり、くしゃみが出ると、鼻の中のガーゼが動いてしまいます。その結果固定していたガーゼがとれてしまいます。
私も処置してもらった次の日にはすぐに取れました…。

取れたらすぐに病院に電話するように言われていたので、すぐに電話しました。
すると、処置をしてくださった先生が鼻のガーゼを元の位置に戻してくださり、さらにより固定できる方法を教えて下さいました。鼻の詰め物を綿にして、汚れたらすぐに換えるようにしたのです。

このように、私たちがメシアによって一度戻ったとしても生活の中で最初の状態に戻ってしまいます。
生活の中でどんなに気を遣っても瞬間神様のことを忘れてしまったり、自分の考えで行なってしまうことはあると思います。そういう時に、私たちがメシアのところに行くと…メシアは再び元の位置に戻してくださり、さらにより完全に生きられる方法を教えてくださいます。それが御言葉です。

こうして、本来の正しい生活ができるようになるまで、メシアがつきっきりで助けてくださいます。
それが、メシアの権勢でもある「罪を許すこと」です。
本当に、メシアって大切な存在ですよね。

そういうわけで、鼻が元に戻るまでの間ガーゼを詰めながら、苦痛に耐えながら生活をしていました。
いくら苦痛だからといって、ガーゼを外して生活することはできません。そうすると折れていた鼻がちゃんと戻らなくなるのです。最悪さらに複雑骨折するかもしれません…。
このように、御言葉を行うのが大変だったとしても、そこから外れてしまうともっとひどい状態になることすら起こり得るのだと気づきました。

現在はほとんど気にならないくらい鼻は戻っています。
ちゃんと最後まで耐えて行えば、元の状態に戻れる…あるいはもっと良い状態になることもあり得ます。これが希望ですね。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。