おはようございます、satoです。
今日は「誤解」の話です。
唐突ですが、私はとても早とちり&思い込みが激しいです。
どれくらい激しいか、と言いますと
見ず知らずの人が私の後ろを見てしかめっ面をしているのを見て
「この人、私にしかめっ面している…」と勘違いし、
さらに「どうしてこの人…まさか私の○○を見て…」と自分の内面の問題と結びつけて落胆する
というくらいです。
実際、見ず知らずの人が私の外見ならともかく内面的なところはわからないでしょうし、いきなりしかめっ面をすることはまれです。なのに、そう結びつけてしまう私…。
あと、聞き間違いも非常に多く、それをそのまま受け取って「?どういう意味?もしかして…」と現実にあり得ないことを信じてしまいます。というか「そうとしか考えられない」という風になりがちです。どんなに非現実的なことだとしても。おそらく漫画の読み過ぎです。
そんな「誤解」をよくする私ですが、ある日こんなことがありました。
私が学校で勉強していたときのこと。
私のところにある人が来ました。その人は私ではなく、別の人に用事があったのですが。
実はその人、わけあって距離を感じていたのです。その理由はあるとき急に返信が来なくなったから。
突然連絡が取れなくなったので、
どうして連絡が取れなくなったのだろう?もしかして、嫌われた?
あ、もしかして前に私がこういうことをしたから…
と考えてしまい、それ以来その人としばしば会うのですが、私のほうが
挨拶くらいはしようか…いやでももしあの人が私と話したくないのなら迷惑だよな…ああでも挨拶くらいは…
という感じで意識してしまい、全く話せず(^_^;)むしろ心が苦しくなるばかりでした。
そんな感じで、今日もその人と会いました。で、その人は用事が終わったので帰りました。
ところで、その人が帰ったあと、私はあることを思い出しました。
「あ、あの人に話しておけばよかった…」
実はその人の知り合いに話しておきたいことがあったのです。それをその人に言っておいて、伝えてもらうのがいいかな、という考えが来ました。
しかし、その人は帰ってしまいました。さて、どうしよう。
とりあえず、しばらく作業を続けました。すると…
なんと、その人がまた来たのです!!
これはチャンス!と思い、話しかける私!
「○○さん、あの…」
「はい?」
しばらく対話をしました。それでわかったのは
別に、その人は私のことを嫌っている様子ではなかった
ということ。そのことがわかって、内心ホッとしました。
さっきの「嫌われた?」は…私の完全な誤解でした。
この出来事を通して、私は悟りました。
あぁ、このように私はたくさんのことを誤解して、一人で勝手に苦しんでいたのかも…。
やっぱり、誤解を解くには、対話が一番だよな…。神様ともちゃんと対話しないと!
思えば、摂理に来てからも誤解が多かったのです。人のやっていることも理解できず、御言葉もよく理解できなくて勘違いして。
神様に対しても誤解がたくさんありました。今もあると思います。
でも、それを解くには自分一人で考えるだけではダメで。
やっぱり対話をしなければいけないなと思います。対話をしてみて、相手の反応や言動を見ながら、時には気になることも話しながら、考えを改める。
神様に対しても、やっぱりそうなんだと思います。誤解しそうなときに、思い切って、神様に尋ねてみる。そして確認する。
あと、鄭明析先生の御言葉を読んで、確認する。言葉でちゃんと書かれているので、気になるところは繰り返し読んでいく。
そうして、今まで誤解していた摂理のことや神様のことを正しく知るようになりました。
誤解したまま苦しみ続けるのは、もったいない。どうせ生きるなら誤解を解いて楽に生きたい、ですよね。
だから、私はこれから誤解を解いていこうと思います。
その人と対話をすることで。
この記事を書いたブロガー
-
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
最近の投稿
- 日常生活2024年10月5日「ペテロと魚」に見る、経済の根本。
- 聖書&御言葉2024年10月4日摂理の箴言「確認と直感」の生活
- 日常生活2024年10月3日私の根本の問題の解決
- 聖書&御言葉2024年10月2日愛を受け止める、その覚悟。