摂理と韓国の歴史~独立記念館に行ってみた~

おはようございます、satoです。

摂理は韓国で始まった宗教です。よって、その御言葉をより深く理解するためには「韓国の文化や歴史」を知る必要があります。
そこで昨夏、月明洞で開催された修養会に参加した際、時間が少しあったので「独立記念館」に行ってきていました。
このこともレポートする予定でしたが、いつの間にか時は流れてしまい…^^;
なので、今回は韓国の歴史を見ながら、韓国でどうしてキリスト教が広がったのかを考えてみます。

独立記念館とは

独立記念館は帝国主義による朝鮮半島支配の受難と、それに対する独立運動をはじめとした歴史を、8万5千点以上の資料によってつづった博物館で、独立のために亡くなった人を弔う寄付を資金に設立されました。-独立記念館@コネスト

一言で言うと、1987年に建設された韓国の歴史が一通り分かる博物館、といったところです。
入館料は無料です。場所等は上のコネストへのリンクをご参照ください。

驚くべきはその広さ。
博物館と聞くと展示物が陳列されている建物をイメージしがちですが、独立記念館は建物だけでも7つ、さらに広い公園もあり、さながら一つのテーマパーク、あるいは国立公園のようでした。
この日は真夏で結構な暑さだったにも関わらず、多くの人々が行き交っていました。

上の写真真ん中の方の建物内には何やらライブをしていました。見せ物をするにはとてもいいスペースですね。
私もこの時ディアボロ持ってきていたから、やりたかったなぁ…(笑)

敷地内にはこのような遺跡までありました。ここは結構外れの方ですが…。
同行していた教会の人によるとこれはかつて日本によって植民地として支配されていた頃の建物の残骸とのことです。

建物付近にはこのように韓国の国旗でもある「太極旗」が多くありました。
ちょうど8月だったので「光復節」記念のための準備だったのかもしれません。

韓国の歴史~侵略の危機の連続~

多くの建物がありましたが、あまりの広さに私たちは半分も見ることが出来ませんでした。
しかし、それだけでも韓国の歴史、特に侵略の危機が多かったという一面を見ることが出来ました。
(なお、展示物の写真も多く撮ってきましたが、いくら無料とはいえ展示をインターネットに公開するのはさすがに問題と考え、今回は上記の写真以外は掲載を控えようと思います。)

韓国、より正確には朝鮮半島の歴史は世界史でも習う「百済(くだら)、高句麗(こくりょ)、新羅(しらぎ)」の三国時代や「高麗(こりょ)」の時代から始まりました。
この高麗はどうも文化的には相当に次元が高かったようで、特に青磁、印刷は当時世界レベルだったようです。
そういえば、御言葉でも時たま「青磁器」のたとえ話が挙げられていました。

ある国の一人の人が、先祖の時に使っていた古いものを地下から発掘した。その中で、一つの器は色が青く光っていたので、調べてみたら「高麗青磁(せいじ)」だった。「陶磁器が好きな人に会ったら買うだろう。高麗青磁なら高いだろう」と思って、本当に喜んだ。しかし、高麗青磁がどれほど貴重なのか知らないから、数千万ウォンくれたら売ろうと思っていた。-2013年1月6日鄭明析先生の主日礼拝の御言葉「以前のものは過ぎ去った。見よ、新しいものだ。新しい歴史だ。」より

このたとえ話はとても長い話ですが、最終的にはこの高麗青磁の値段は90億ウォンで国宝級のものだったという話になっています。
それくらい、この時代の青磁器は価値があるものだと思われます。

興味深いのは、印刷技術が発達した理由。
外部侵略から国を救わんと、儒教の経典を印刷する「宗教的な願い」によって、木版印刷が使われたのです。
そう、この時代から朝鮮は侵略の危機にあったのです。主には隣にある漢族からのものでした。
独立記念館にはこの時期の話も描かれていて、この侵略を阻止した武将の英雄譚も展示されていました。どうやらアニメ化もされていたらしい。

実際、このあともモンゴル(元)によって侵略されたり、親明であった李氏によってほぼ中国(明)に支配されていたり、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって一時期半分くらい制圧されていたり、と多くの侵略された歴史がありました。
なお、豊臣秀吉の朝鮮出兵を防いだのが、韓国では割と有名な李舜臣(イ・スンシン)です。

日本による韓国の支配

そして、最も最近あったのが大日本帝国による朝鮮半島の植民地化です。
当時日本は欧米列強と不公平な条約を結ばされていました。世界史でよく聞く「日米修好通商条約」というもので、「治外法権がアメリカに認められた(日本でアメリカの人が犯罪を犯しても、アメリカの法で裁かれる)」、「関税自主権が日本になかった」というとても不公平なものです。
これを脱したい、というのが日本の考えでした

日本は江華島事件をきっかけに1876年に日朝修好条規を締結しました。これは上に書かれたものと同様の「治外法権」と「関税自主権の撤廃」を韓国に課した不平等条約です。
そして、その後多くの国が韓国に同様の不平等条約を締結しました。
その結果、韓国には古来あった朝鮮独自の文化の多くが失われた、と描かれていました。

そして、日露戦争に勝利し韓国に対する優越権を認められた日本は、1905年に日韓保護条約、またの名を「乙巳条約」を結びました。
この条約は韓国から「外交権」を奪う条約で、実質的にこの条約によって韓国は日本の支配下となりました。
そして、その後40年、第2次世界大戦終結まで日本は同化政策等を取り韓国を日本の国としようとしていました。

以前の歴史でそうだったように、この時も多くの侵略を阻止、独立をするために多くの人たちが立ち上がりました。
彼らを「独立闘士」と呼び、この場所の一つの棟でその活躍と顛末を展示していました。

韓国とイスラエルの共通点

このように、韓国は多くの国から侵略され続けた歴史を持ちます。
この歴史は実はかつて旧約時代に多くの国から侵略され続けたイスラエルという国と同じ歴史なのです。
聖書には、モーセの時にエジプトから過酷な扱いをされ、その後カナンの地に行ったあとも多くの民族と国から侵略を受け続けた歴史が「士師記」に書かれています。

すなわち彼らは主を捨てて、バアルとアシタロテに仕えたので、主の怒りがイスラエルに対して燃え、かすめ奪う者の手にわたして、かすめ奪わせ、かつ周囲のもろもろの敵の手に売られたので、彼らは再びその敵に立ち向かうことができなかった。-士師記2章13-14節

そのたびに神様は人を送ってイスラエルを助けました。
そして、多くの人々が神様を信じ、しかし平和になると再び腐っていき、再び侵略をされる、という歴史がありました。
そうして、イエス様が来るときまで国からの支配を受け、自分のアイデンティティを奪われていったのです。
この時に、人々は「神様が来る」という預言を信じて神様を呼んだのでした。

この時代における韓国もまた、そのように宗教が発展していったのだと容易に予想されます。
現在最も熱いキリスト教の国は韓国である、という話を聞いたことがありますが。確かに韓国に行くと「光る十字架」があちこちにあり、道でボーッとしているとクリスチャンに伝道されます(笑)そのように熱心にしているところは、なかなかないです。
それほどに熱心に神様を信じ、呼び求めるのは…朝鮮民族の気質もあるでしょうが、一番は「侵略の歴史によってアイデンティティを求めている」ところが大きいのかなと思いました。

終わりに

この場所は、韓国のある意味で「恨」を表している場所です。
ここで「恨」とは単なる「恨み」とは異なる「無念さ」を表す言葉です。
そのため、事実以上に過激に書かれているところもある感じもします。単なる情報を越えたある感情を感じるほどには。
しかし、韓国の気質の根源、そして、その歴史を見るのには、ここに来て正解だった、と私は思いました。

その土台の上に、今「神様を熱く愛する」摂理があるのだと考えると、やはり「歴史は繰り返される」のだと感じざるを得ませんでした。

おまけ

アイキャッチ画像は宿泊した街で有名な胡桃菓子です。
とても甘かったです(^o^)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。