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読書レビュー:『守教』

読書レビュー:『守教』

おはようございます、satoです。

昨日の記事でご紹介した『守教』という本、本日読み終わりました。実は昨日の時点で下巻の1/3は読んでいたので、結構あっという間でした(笑)
というわけで、今日は『守教』のあらすじを振り返りつつ私が感じたことについて話していきたいと思います。

あらすじ

昨日の記事にも書いたとおり、この小説は九州地方の「百姓の一族」がクリスチャンになるところから始まり、迫害を受け隠れキリシタンとして信仰を守り、江戸幕府が終わる間際に開教され、最後の迫害である「浦上四番崩れ」が起きるまでを描いたものです。
この物語はキリシタン大名の一人である大友宗麟に仕えていた「一万田馬之助」の養子「米助(めいすけ)」視点の話で始まります。
この米助は捨て子で、修道士が教会とともに建てた孤児院で育ちました。大友宗麟も馬之助もクリスチャンとして信仰を持っていて、修道士の考えに深く感銘を受けていました。
馬之助が百姓の治め役である大庄屋として高橋村に来て、米助が元服して「平田久米蔵」になる中で、何回か修道士が来て、高橋村に信仰が広がります。
この信仰によって彼らは一致団結し、農作もとてもうまく出来ました。

しかし、時代が変わり豊臣秀吉が天下統一を成した頃から段々とクリスチャンに対する風当たりが強くなり、久米蔵の子である道蔵、音蔵の頃には禁教令が出され棄教を迫られます。
これに対して「生きて信仰を持つべきだ」と考え、棄教したふりをして隠れて信仰を持とうとする音蔵と「殉教してもいい」と考える道蔵。
大庄屋として村全体の責任を負う音蔵の葛藤、そして道蔵が決心の末殉教したところがこの小説のハイライトです。

その後、彼らの子孫がどのように信仰を持ち続けたのかについて描きながら話は大政奉還・明治時代に至ります。

感想

隠れキリシタンが迫害を受け、棄教を迫られる話は映画になった『沈黙』や、高山右近に代表されるキリシタン大名の一生を描いた作品はありますが、どのように日本人が信仰を持ち、それを守り続けたのかという視点で書かれた作品はあまりありません。
その点で言うと、日本に多くいた隠れキリシタンでの視点で書かれたこの作品はとても良かったです。
何が良かったか、というと信仰を持ちながらどのように生活していったのか、どのように信仰を得たのかを知ることができたことです。

この作品全体を通して、キリスト教の本質は「慈愛」である、という話がされています。また、「自分は神様の体である」という考えも全体に現れています。
その実践が孤児院という形で現れ米助を救い、農作においても忠誠を尽くして不正なく働いた結果、幕府からの評価も良かったです。
また、お寺の和尚さんも一目置き尊敬していました。違う宗教でありながら理解してもらえるのは、誠実な行いがあったからでした。

このように、クリスチャンだからといって仕事を放棄し、信じていない人を見下し、異なる宗教を偶像と考え排除するのではなく、天の考えに従い忠誠を尽くして自分に与えられたことを行うことが大きなことである、と改めて感じました。
私の信仰生活においてもとても糧となるものでした。

この作品には『沈黙』でも出てきたフェレイラ神父やキリシタン大名等多くの実在した人々が出てきます。この時代の歴史を知る、という観点からもとても良い本である、と私は思います。

今度は、『沈黙』も読んでみようかなと思います。

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