聖書研究:箴言30章1−9節

おはようございます、satoです。
本日は主日礼拝を教会で守りました。その中で伝えられた御言葉の本文の中にこういうものがありました。

30:7わたしは二つのことをあなたに求めます、
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
30:8うそ、偽りをわたしから遠ざけ、
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
30:9飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。

口語訳聖書 箴言30章7−9節

箴言と言えばイスラエル王国のソロモン王が書いたものが有名ですが、実はソロモン以外の言葉も記録されています。
この30章は「マッサの人ヤケの子アグル」の言葉が記録されています。
この人については聖書の他の箇所にも、歴史的にもあまり詳しいことは知られていません。
ですが、箴言を見てみると、以下のようなことがわかります。

30:1マッサの人ヤケの子アグルの言葉。
その人はイテエルに向かって言った、
すなわちイテエルと、ウカルとに向かって言った、
30:2わたしは確かに人よりも愚かであり、
わたしには人の悟りがない。
30:3わたしはまだ知恵をならうことができず、
また、聖なる者を悟ることもできない。

口語訳聖書 箴言30章1−3節

まず、このアグルという人はイテエルとウカルという人に以下のことを話しているのですが、その中には「自分は愚かである、悟りがない、聖なる者…つまり神様について悟ることができていない」と話しています。
この言葉からアグルという人は相当に知識を持っていて、聡明な人であるということがわかります。
それは、多くを知る人ほど「わからないこと」が増えて、より知らないように感じるからです。
実際、研究者の多くが専門のことを勉強するほど、「自分はよく分かっていない」と感じることが多いようです。Twitter経由で多くの研究者を見てきましたが、不思議とちゃんと分かっている人ほど「分かっていない」ということをはっきりと公言します。

30:4天にのぼったり、下ったりしたのはだれか、
風をこぶしの中に集めたのはだれか、
水を着物に包んだのはだれか、
地のすべての限界を定めた者はだれか、
その名は何か、その子の名は何か、
あなたは確かにそれを知っている。

30:5神の言葉はみな真実である、
神は彼に寄り頼む者の盾である。

口語訳聖書 箴言30章30章4ー5節

この後の聖句でこのように書かれていますが、実際このようなことに着目し、それが誰によって成されているのかを考えるということはそれだけ物事を深く考えている証拠と感じます。
そんなアグルが願い求めることが、「貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物」で養われることです。
このなくてはならぬ食物とは何か、これは新約聖書で次の聖句が該当するかと思います。

4:4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。 

口語訳聖書 マタイによる福音書4章4節

実際、アグルもまた「飽き足りて神様を呼ばなくならないように、貧しくて盗みをして神様を汚すことのないように」と書いてあるので、神様のことを本当に求めていたのだとわかります。

今日の御言葉でも話されていましたが、人というのは楽で、満足していると不思議と神様を呼び求めることをしません。
これは実際私もそうです。今までもそうでした…。
私は特に楽をすること、苦痛から免れることが一番の目的、というくらい求めていたのですが、今日の御言葉を聞いてむしろ「多少苦痛があっても神様を呼び求める方がいいなぁ」と考えが改まりました。
今も正直苦労はあるのですが、それを経てもっと神様を呼び求めたいと思いました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。