研究者の卵が考える「御言葉の研究」とは。

こんばんは、satoです。

本日摂理で宣布された主日の御言葉は「研究しなさい。認識を正しくしなさい。」というものでした。
研究しなさい、と聞くと研究者志望の私としては反応せざるを得ません(`・ω・´)でも、一体どうやって御言葉を研究するのでしょうか…。
今日は、数学の研究からここについて考えたいと思います。

そもそも、どうして「研究しなさい」と話したかといいますと…
ただ頭のなかで「こうだろう」と考える推測と実際は異なります。この推測と実際のギャップによって人々は多くの間違いと錯誤を起こします。
たとえば、パッと見ただけでは「錯覚」するし、聞いただけの情報で「誤解」します。
それを解決する方法が研究であり、確認です。今週はこのうち「研究」について重点的に話をされていたのです。

さて、この「研究」とは何をすることなのでしょうか?

数学の研究は、正直言いまして他の科学とはちょっと異なる部分がありまして…。
それは、実体というのが目に見えないということです。
たとえば物理なら素粒子やぶつかった時のエネルギーなど「観測できる実体」というのがあります。化学だともっと分かりやすく薬品とか化学物質があります。だから、研究においては「実験」が欠かせません。
ところが、数学の場合には観測できる実体がないわけです。
数学における「実体」というのは一言でいうと「計算」です。
何か具体的な数字、性質の満たす数式を使って、実際に成り立つかどうかを計算するのが、数学における「実験」です。

ところで、化学や物理の対象は「実際に存在する物質」です。理論物理だと自分たちが生きている宇宙や素粒子などのことを調べますが、これもある意味で「実際に存在するもの」です。
だから、化学や物理では「観測」をするわけです。
つまり、推測を立てて、それに基づいて実験するのが化学や物理の「研究」の流れです。
(物理の場合は観測できる機器の制約がありますが)

一方で数学は「実際に存在するもの」というより、その奥に潜む「パターン」や「数字」、「図形」といったより形而上学に属するものが対象なのです。よって、数学の場合「観測」が出来ません。だから「計算」をするわけなのです。
ところが、これが有限個なら良いのですが無限にある場合もあります。そこで行なうのが証明です。
以上のことから、数学の場合は(幾つかの計算などから)推測を立てて、(具体例で計算して確かめた上で)証明するというのが研究の流れになります。

ちょっと違う部分もありましたが、「推測を立てて、実際に成り立つかを示す」というのが研究の流れになっています。

御言葉における研究の対象は「生活の中で実際に行なうこと」です。
実際に肉体で行なってこそ霊魂が作られ天国に行くから、実際に行なうことが大事なのです。
だから御言葉の場合は御言葉で「こうだろう」と推測を立てて、それを実際に生活で行なってみるというのが研究の流れになるわけです。

頭の良い人だけが研究をするわけではありません。
大事なのは御言葉通りに実際に行なってみることです。そして、御言葉をどうやったら行えるのかを模索することです。
必要なのは「やろうとする意志」だけ。

というわけで、あなたもlet’s 研究ライフ!(笑)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。