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人格を引き上げる「感謝の祈り」と「忍耐」

人格を引き上げる「感謝の祈り」と「忍耐」

こんばんは、satoです。

今日は自分の人格を今の次元より高める方法について話をします。
人格の次元を高めると色々な点で有利です。
逆境に置かれても落ち込むことなく自分の道に進むことが出来ますし、人格を磨いた人の所に、人は集まってきます。

どうしようもない失敗をしても…

大体、漫画の主人公は人格が磨かれていきます。
最初はどうしようもないくらい人格が磨かれていなくて、多くの失敗をして人が離れたとしても、様々な出来事を通して人格が磨かれ、最後は仲間が出来るようになります。
個人的に一番印象深い主人公は、最初はお金持ちで高慢で、自分の否を認めないというあるゲームのものですかね…。
途中で、取り返しの付かない(一つの国を滅ぼすような)失敗をした上に、その否を認めず自己保身ばかりしていたためにほとんどの仲間が離れていった、という展開がありました。あれは見ていて心が苦しかったです…(仲間に嫌われる、という展開に自分の過去を想起してしまうからでしょうか)
しかし、自らの足りなさを認め、変化させる決心をしてからその人格がどんどん磨かれ、最終的には世界を救うまでに至ります。その際の長髪だった自分の髪を切って、自らの決心を告げるシーンは、このゲームの名シーンの一つです。

話が逸れましたが…。
このように、取り返しがつかないことをしてしまい、人に嫌われることがあったとしても、自分の人格を磨き上げることができれば、最後には前よりもっと良い物を与えてくださるわけです。
しかし、人格を磨かなければそのままで終わってしまいます。

では、どのようにして人格を磨けば良いのでしょうか?
色々ありますが、大事なことは「感謝」、そして「忍耐」です。

感謝の大切さ

自分が与えられているものが当たり前でないと感じ、それを喜び感謝できること。
それは自分が謙虚であるから出来ることなのです。
自分の足りなさを認め、それより大きなものを与えられている。それが喜びとなり、感謝となります。
もし、自分の得ているものが当たり前だと感じるなら、価値を感じないし感謝も出来ないですよね。

逆に、感謝をしてこそ、そのものの価値を悟ることが出来ることもあります。
最初は与えられたものの価値を悟れなかったとしても、感謝をして喜んでみると段々とその有り難みが分かるようになる、ということは意外と多いです。

私も、昨日あることについて本当に感謝の祈りを捧げました。正直、最初は自分が価値を感じられていないので感謝してても「なんで感謝しているんだろう…」という気持ちが拭えませんでしたが、ひとまずしてみました。
そしたら、あとになってそのことについて本当に、火がつくほどにそのことがどれほどすごいのか悟るようになりました。
それで、もっと感謝できるようになりました。

人格を磨く上で「忍耐」が必要

この出来事を通して、自分の人格の次元を上げるために必要なのが「忍耐」なのだな、と感じるようになりました。
この忍耐というのは「罪を犯す環境にいながら、それを我慢する」ということではありません。そういう時は出来るならその環境を離れなさい、と摂理の御言葉で話されています。
ここで言う「忍耐」とは義の行ないをするための忍耐、自分の成長に繋がることをするときの忍耐です。

私の場合、先程も話したように感謝の祈りをする際に実感が出来ないから「つらい、祈りを止めたい」という葛藤がありました。
しかし、それをもう少し忍耐して、続けて告白をしました。そうしたら、状況が変わってそのことに対する価値を悟るようになりました。
このように、最初は行なったことがなく、自分の過去の蓄積された感覚、考えがあるので御言葉を行なうことがとても苦痛になることがあります。しかし、それを耐え忍んで行い続けると漸進的に変わって、自分の心に変化が起こります。
これを続けるとそれが体質となり、人格となり、完全に変化しきってしまいます。

聖書の人物にヨブという人がいます。
ヨブ記は正直長い上に話が複雑で分かりにくいのですが、概要は次のようになっています。

ヨブというお金持ちがいました。
この人は神様の前に完全に行なった義人なのですが、サタンが「お金持ちだから神様を信じるのだ」と言って詰問し、財産を奪っていきました。しかし、ヨブはそこでも「神様が与えてくださったものだから、神様が奪うのも受け入れる」と言って神様を恨みませんでした。
そしたら、サタンは「肉体が健康だから(ry」と肉体を打ちました。その結果重い皮膚病に罹ります。
それを見た友人たちは「あなたが罪を犯したからそのようになるのだろう。悔い改めて、神様に治してもらうように祈りなさい」と話します。ヨブは罪を犯していないにも関わらず、親しい友人から罪人扱いをされるのです。
ヨブは友達からの激しい糾弾の中でも忍耐し、友に弁解をしながら最後まで恨みごとを言わず、罪を犯しませんでした。
その結果、サタンも詰問できなくなり、神様が失った財や子供をもっと与えてくださいました。

この話の中に、次のような聖句があります。

しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、わたしは金のように出て来るであろう。-ヨブ記23:10

正しいことを行なうとき、ヨブのような困難が起こることもあります。多くの人から理解される道でもなく、時には親しい人からも「どうしてそこまでするのか?」と言われたり、バカにされたりすることもあります。
時には、自分自身ですら疑問に思うことだってあります。
しかし、それでも諦めることなく、最後まで行なうならば…その対価を見るようになります。

だから、私たちは目の前の困難を見るだけでなく、その先まで見て「正しいこと、自らの良心に恥じないこと」を行なわなければなりません。
その中で行なう忍耐が、私達の人格を「金のように」輝くものとすることでしょう。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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