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摂理に来て「被害意識」が治った話。

摂理に来て「被害意識」が治った話。

おはようございます、satoです。

摂理に来て色々治ったことがありましたが、その中の一つでとても重かったものが過度な被害意識でした。
元々妄想癖が強く、現実的に物事を認識できなかった私は、自分に何か都合の悪いことがあれば「もしかして、あの人が○○したから…」と考える癖がありました。

色々な背景はありますが、元々自分が何か悪いことをしたら親や教師に怒鳴られるくらい叱られたことがあります。このことで常に「恐怖」を抱えていました。…たぶん、今もあります。
その為、自分が悪い、ということに対して嫌に敏感になり、その結果として「自分のせいかどうか」に嫌にこだわるようになってしまいました。
自分が悪くなければ何の問題もないし、自分が悪かったらちょっと怖い。そんな感じで。

これが繋がって、色々なことに対して「過度な被害意識」を持つようになりました。
もし今私が襲われたらどうしよう…あの人が襲われたら…こうなったら、あぁなったら…と「怖いこと」を考える癖がついてしまいました。
このネガティブな思考が「被害意識」につながってきます。
要するに、自分が何かされた時に「もしかしてこの人は私を…」と考えてしまうんですね。

たとえば、私がものを無くした時には、「もしかしてあの人が片付けている時になくした…?」とか「もしかしてあの人が持っていった…」とかあらぬ疑いを掛けてしまいます。
また、教会の用事で遅れそうになった時に「あぁ、私は用事があるのに…」と被害者かのように考えてしまったり。

たま~に「○○だから勉強ができない」とか「○○のせいで仕事がうまくいかない」って話が聞こえることがあります。
これも一種の「被害意識」ですよね(ノД`)

年末にこの被害意識について直そうと悔い改め、それから生活する中で分かったことには自分が自ら喜んでそのことに取り組まないと、そのことで何か辛くなった時に「被害意識」が出てくるということでした。
逆に言うと、被害意識が出た時には「自分がやっていること、環境を喜んで受け入れ、解決してみようとする」ことで解消されることが多いです。
何か物を無くした時には、ひとまず「その人が持っていった」とか考えずにとりあえず探してみようとする。もちろんその人には聞くけど。
教会の用事が長引いて遅れそうなら、約束した先の人に相談するか、教会の人に相談する。

一番被害意識が出やすいのは「受け身」であるときです。
周りが言ったから自分もそうする。人に言われたからそうする。こういう姿勢だと悪いことがあったときに「人が言ったから…」という考えに陥ってしまいます。
ある意味自分のせいでない、とするのはダメージが少なそうですが、実を言うと「得られるもの」も少ないのです。自分が喜んでするから、甲斐も大きいし楽しいということが摂理に来て少しずつ理解されました。

もう一つ、「被害意識」の裏には責任感の強さ、危険意識の高さがあります。
そもそも「○○のせいで…」と考える、ということはそれだけ「失敗したくない」と考えるからなのではないでしょうか?
失敗してもいいなら、「まいっか」で終わるはずです。その責任の強さ、危険意識の高さはとても良いことです。
ただ、「○○のせいで…」と考えると問題の根本の解決になりません。人や環境のせいにしても、状況が変わらないからです。
環境、人はどうあっても、結局最終的には自分が」解決しないといけません。
与えられた枠組みの中で解決できるか、が自分の実力とも言えます。

昔より被害意識がなくなった原因の一つが、「自分がどうにかすれば解決できる」ということを御言葉で教わり、実際にそのようにしたからです。
自分が解決できたという経験が増えるにつれて、何か困難にぶつかったときも自分がどうするのかを考えるようになっていきました。それだけ前向きになった、ということです。

摂理に関して、あるいは摂理でなく他の宗教に関して、そこに行くと勉強できない、とかそういう声を聞くことがあります。
確かに、教会にも行き、学校の勉強をし、仕事もして…ということを考えると教会に行っていない人よりは時間が減ります。
しかし、大抵の摂理人は教会に行っても勉強ができるよう、ちゃんと自分のすべきことをしようと努力します。
それは鄭明析先生先生が「学生は勉強もしっかりし、社会人はちゃんと仕事をしよう」と教えているからです。また、「勉強や仕事を神様を愛しながら、しなさい」とも話します。

自分も実際、教会で色々していますが、ちゃんと自分のすべきこともしています。バイトもし、研究もし、論文も書いています。
両立は大変なようですが、それぞれのことを神様を意識して、御言葉を実践しながらやっています。
そうしたら、不思議とうまくいきます。バイトも周りから信頼されていますし、研究も結果が出ています。もちろんもっと上手い人もいますが、ちゃんと上手くできるのです。

最終的には自分がどのようにするかで決まる
このことを摂理に来て学び、そして成功体験をしていくことで、私は『過度な被害意識』が少しずつなくなってきました。
これからも、被害意識を持つより自分が行うことで問題を解決できる、そういう人になれるよう頑張りたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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