研究者から見た鄭明析先生の姿

おはようございます、satoです。

今回は研究者としての立場から鄭明析先生について感じることを書きたいと思います。

鄭明析先生の御言葉は聖書に書かれていることがどのように成されるのか、聖書の読み方を解きながら、実際に経験したことを通して明確に教えてくださるものです。この御言葉を聞いて私自身「神様がどういう方で、どのようなことを願われているのか」知るようになりました。
そんな鄭明析先生が御言葉を伝えられる前、山の中で聖書について神様から学んでいた頃。
鄭明析先生は「聖書の御言葉を実践した」ということは知っていたのですが、実は最初文字通り聖書の聖句が成されると信じていたのです!

よくよく考えると、私が今「聖書が比喩で書かれている」ということを知ったのも鄭明析先生が悟った御言葉を聞いたからです。鄭明析先生が御言葉を悟る前には誰も知らなかったのです。鄭明析先生自身も含めて。

実は私も摂理に来る前に実家にあった聖書を読んだことがあったのですが、その時は完全にファンタジーの世界として見ていました。だって、全世界を覆う洪水とか、軍隊を倒す天使たちとか、特に黙示録はもうファンタジーですよね…赤い獣とか、厨二病の心をくすぐるというか…笑

ここまで極端な人はそういないでしょうが…鄭明析先生が御言葉を伝えるまで、多くの人が「聖書に書かれていることが非現実的だ」と考えていました。
それは当時イエス様が来られると信じていたキリスト教の人もそうでした。彼らは神様とイエス様を信じ、祈り、説教をすることはしていましたが、「雲に乗って来られる」という御言葉があるにもかかわらず雲は気にせずに生きていました。

しかし、鄭明析先生は若い頃に全ての御言葉が現実に成されると信じて、実際に行なってみたのです。

見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。

口語訳聖書 ヨハネの黙示録1章7節

このように雲に乗って来られるという御言葉があれば、実際に「空に浮かぶ雲」を眺めて主が来るのを待ちました。月明洞は山が多いのですが、その山に雲がかかれば「イエス様が来た!?」と思って駆けつけました。

するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。

口語訳聖書 マタイによる福音書17章20節

また、この聖句を聞いた鄭明析先生は本当に何時間も祈って山を動かそうとしました。
そして、山が動かないのを見て「私には山を動かすほどの信仰もないのか…」と考え落ち込んでいました。

このように、鄭明析先生は本当に聖書を文字通り信じて、それを実践なさいました。
その結果、聖書が文字通りでないということを悟り、神様に聖書について教えてもらおうと祈り求めたのでした。
そうして今の摂理の御言葉があるのでした。

この話、研究者として見るととても多くのことを学びます。
研究する前には成り立つだろうと思っていたことも、実際にやってみると間違っていたということが多くあります。
私も色々予想しましたが、実際に計算するとうまく証明できなかったり、予想と違った結果が出てくることが多くありました。
しかし、その経験から本当に正しい答えを得られるよう手がかりが得られるのです。

時には非現実的な予想が出ることもあります。
それでも、まずは「信じてやってみる」ということ。
そして、結果でない時、うまくいかないときでも「正しくない…」と諦めずに、やり方が間違っているからと考えてやり方を変えて模索すること。

その姿勢はまさに研究者と言えます。鄭明析先生の信仰からは研究者としても学ぶべき多くのことがあります。
私も研究者としてこの姿勢を最後まで持っていきたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。