「好き」にも色々あるのよね。

おはようございます、satoです。
本日は自己分析の一環として「好き」にも色々種類があるのよねという話について書きます。
ここでいう「種類」とは、「どういう種類の好きなのか」というより「好きなものの中にもダメージを受けるもの、そうでないものがある」という話です。

この話について気づいたきっかけとして「自分の中で好きだなぁ、推しだなと思っていたキャラを細かく分析すると、妙に心理的な負担を感じるキャラとそうでないキャラがいる」「好きな音楽の中でも”調子が崩れる”時とそうでない時がある」という現象が起きているのでした。
以前の推し分析でも「心理的に負担がある」「負担がない」という指標が見られたのですが、これが他のことにも通じているのです。

もう少し詳しく書くと、あらゆることにおいて

・好きなんだけど、近くしすぎるとダメージを受ける

・好きで、ある程度近くしてもそこまで影響がない、癒されることがある

・そこまで強く惹かれないけど、繰り返し聞くと良いなぁと思う

・本当にダメで、触れただけでダメージを受ける

という感じの種類があります。で、一番気をつけないといけないのが最初のパターンです。

音楽でいうと「結構なアップテンポ」と「独特の世界観を持つ」タイプの曲は割と好きなのですが、実は結構ダメージが大きいタイプだったりします。特に後者。
そもそも、私は「世界観」それ自体が好きな人で、それがはっきりしているものだとどんな作品でも好きだったりします。
なので、そういう曲を聞くと世界観に没頭してしまう…のですが、その分「現実からの乖離」とか「神様の世界からちょっと離れる」ということが起きてダメージを受けることがあるのかなと推測します。
ちなみに前者の曲は単調かつ大量の作業があってスタートができないという時に聞くと結構有効だったりします。ある種無理やり動かすのに向いています。ただ、これをやると疲れてしまうんですけど。

また、「清楚キャラ」は好きな傾向にありますが、これも近くしすぎるとなぜかダメージを受けます。
これは理由不明ですが、結構多いです。そもそも「人格や性格」を重視しているため、自然と「清楚」な人は好きの範囲になりがちですが、なんか不思議と近くしすぎるとダメージを受けるんですよね…。
余談ですが、私の推し声優さんの一人に石見舞菜香さんがいるのですが、石見さんが演じるキャラは「清楚キャラ」が多いという話(例:【推しの子】の黒川あかね、ウマ娘のライスシャワーなど)を聞いてなるほど…と思った次第。あかねはどちらかといえば分析力とかそういう方に興味を持っているのですが。あと、同じ石見さんキャラの推しでいうとマギレコの環ういはそこまでダメージないんですよね。不思議。

逆に自分が「好き」かつ「ダメージを受けない」または「癒される」傾向にあるものはどういうものかというと

・素朴なもの、淡い色合いのもの

・まっすぐで純粋なもの

・明るくて元気、そしてどちらかといえば「なんか斥力を持っている」人

なんですよね。具体的にいうと、作品で言うなら「久保さんは僕を許さない」という漫画が該当します。
日常のふとした瞬間を色鮮やかに描かれていて、とても癒されました。終盤はラブコメの展開になるのですが、それも負担にならず(青年誌なのにセンシティブな要素がほぼない!)幸せな気持ちで読み終えられました。
あと、「五等分の花嫁」も好きでダメージは少ないです。だから、割とグッズを集める時も負担がないです。特に私が推しとよく言っている中野四葉はおそらく2と3に該当するようで、実際彼女を見るとすごく癒されます。私の部屋には四葉のイラストボードがあるのですが、見ているだけですごく癒されるというか、波長が良い方向に調整されるんですよね。
ちなみに、この話を牧師さんにしたところ「あの作品のキャラはみんなまっすぐで変な波長がないからでは?」と言われました。これは確かにそうだなぁ…あの作品(ごく一部を除き)悪い人いないんですよね…。

ちなみに、曲でいうと五等分の花嫁∽のED「たからもの」は個人的には癒し要素あります。なんとなくですが、歌詞が神様との生活を少し想起させる部分があるので、賛美にもなりそう…というのは私だけかもしれません。
また、花澤香菜さんの曲の中には結構癒し要素が高い曲が多い印象があります。「久保さん」のOPとか。
ED(DIALORG+の「かすかでたしか」)はEDで作品とのリンクがかなりマッチしていて個人的には名曲と思っているのですが、それはそれとして癒されるのはOPですね。

おそらくもっと色々あるのですが、今日はこんな感じで。
この話で何が言いたいかというと「好きなものの中には、自分の益になるものもあるけど、実はダメージを受けることもある」という話です。

若い者よ、あなたの若い時に楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。

口語訳聖書 伝道の書11章9節

この聖句には「すべての事のために神様はあなたを裁く」とあります。これとはちょっと違いますが、「自分の好きなものを得ても、本当に自分に合うものでなければむしろダメージを受ける」ということが起こり得るのです。特に「好きだけど負担になる」ものは、好きであるが故に近づけがちなので、気づいたら割とダメージが…なんてことが起こってしまいます。
もし「好きなことをやっているのに、なぜ負担が…?」と思う人は、より分析して「自分が何を好きで、何によって力を受けたり、癒されたりするのか」というのを見ていくのが良いかもしれません。
これを理解すると、「あ、これは近づきすぎるとやばい」と分析して適切な距離を持って推し活ができるかもしれません。場合によっては距離を置くのも一手です。
ちなみに、私は「好奇心が強く惹きつけられる」情報に触れるともっと知りたくなって、気づいたら暴走していることが多いなぁ…と最近の失敗を見ながら感じております。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。