「休み方」と「できないとやらない」癖

おはようございます、satoです。
本日は、以前より悩んでいた話について書こうと思います。

それは

「休み方が分からない!」

ってことです。どうやって休んだら自分の心の調子が戻るのか、そこがよく分からないのです…。
もう少し言うと

  • 体調が悪いなぁと感じている時に「どのくらいになったら休んでいいのか」が分からない。
  • 体調が悪くなって休むのだけど、心は常に稼働しているため「寝ている」だけだと調子を崩す。
  • かといって、何かをするには体も頭も動かない。

と言う感じの悩みなのです。
以前コロナに感染していた時も横になっていたのは良いのですが、その時に心の調子が崩れてしまったんですよね…。
この時はあまりにすることがなかったので、ずっと寝ながらスマホでネットの情報に触れていたのですが、そうしたらかなり心の調子が崩れてしまいまして…。

実はつい最近体調が悪くなった(具体的には頭がかなり重く体がだるい状態)のですが、この時は「寝ながらスマホ」をすると調子を崩すことがわかっていたので、それは避けた上で休んでいたのですが、やはりどうもうまくいかない…(実はこの時かなり急な用事ができて、その調整もあった、というのもありますが)
そこで、逆に自分が休むときにどうして調子を崩すのか?を分析してみました。

いきなりですが、結論を言うと「調子が悪い」と言うのを言い訳にしてできるはずのことをやらないというのが調子を崩す根本の原因のようです。
具体的には

  • コロナ感染時、明け方に起きて聖殿に行くことができないのと「寝ないといけない」から起きても休んでいた
  • 最近体調が悪い時も「頭が重い」からお祈りする時間を短くした
  • 調子が悪くてデイケアを休んだ時「時間があるから」のんびりしていた

という感じで一つでもできない要素があるとそれを言い訳にしてやらなくなるという一面があります。
もちろん、本当に体調が悪くて寝てないといけないという場合は休んだほうがいいです。しかし、私の場合「できる力はある」けど「できない理由がある」から「やらなくなる」のです。そうして「できる力」だけが残っているので、頭が他のことを考えてしまう(大抵良くない方向に)…というのが不調になる流れだなぁと思います。

摂理の御言葉で神様は「結局やるかやらないかが問題だ」とおっしゃいます。
もちろんできない理由について考慮はされますが、神様が一番注目されるのはその状況にあっても「やろうとするかどうか」です。そう考えると、今回の私の休み方には大いに反省点があると思います。
例え聖殿に行けなくても、起きた時に真心込めて祈ること。頭が重いなら重いなりにできるだけ心を込めて祈ること。
祈りは時間ではなく真心ですから、短くても「神様に向かう心」が大事なのです。それを私は疎かにしていたなぁと反省しています。

この「一つでもできない要素があるとやらなくなる」は私のかなり悪い癖で。
もしかすると私の特性も関係しているかもしれないのですが、おそらく仕事でもこの癖が出ている時があると思います。いや、絶対あります。
なので、これはこれで注意しないといけないところです。

そういうわけで、私の心の不調になるトリガーを一つ見つけることができたわけですが、「どう休んだらいいのか」についてはあまり答えが得られません…。
こうやって自分の心の中を整理したり、数式を打っているとだいぶ心は落ち着くのですが、もしそれができない状況になったらどうしましょう…。実はこれから急遽実家に帰るので、本気で困っています。
何かいい休み方があれば教えてください…。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。