satoの数学小説シリーズ「真理の森の数学セミナー」絶賛更新中!

明け方を起きられないと…

明け方を起きられないと…

おはようございます、satoです。

摂理では毎日明け方を大切にしています。
それは、明け方の時間が「神様と出会う」最高の時間であるからです。
鄭明析先生も明け方を守るためにたくさんもがいています。そして明け方お祈りをすることで御言葉を神様から受け取っています。
その鄭明析先生に習って、私達も明け方に起きてお祈りをするのです。

そういうわけで、摂理では明け方を大切にする御言葉がこれでもか、というくらい宣布されています。

私エホバは「一日の中で最も早い時間」から働き掛ける。
だから<明け方>は「私エホバの時間」だ。
新郎が起きて動いているから 新婦も一緒に起きて食事の用意をするように、この時代の新婦も早い明け方から私と共に動く。
先生が明け方1時の祈りをする理由だ。-摂理の御言葉「明け方の祈りをしなければならない理由」より

神様は一日一日、毎日<霊的な時間>を先にくださるが、 その時間が他ならぬ「明け方の祈りの時間」だ。 この時間は祈って明け方の御言葉を聞いて、<霊的な仕事>をするようになさる。 この時間を<肉的>に使ったら、誰でも、 その時間には<霊的な仕事>ができなかったので、失敗した人だ。
実際に科学的に見ても、「明け方」には、脳が10倍も聡明だ。 脳が聡明な時に考えなさい。

これは確かにそうで、明け方にお祈りをするととてもスムーズに考えが変わったり、いつもなら思いつかないようなこともひらめきます。
時々数学の問題も明け方に解決しますね。

明け方を無価値に思って生きている信仰人たちは月の村を免れずに生きていて、 その肉体が死んだらその霊もやはりそのような霊界に行かなければならない。 自分の生が自分を予定したのだ。

中にはこのようなドキッとする御言葉も…。

「明け方を起きられなかったときの生活はB級の人生だ」という御言葉もあります。

そういうわけで、明け方を起きられるか否かというのは霊的にもとても大きな問題なのですが、私の場合「肉的にも」大きな問題が起こります。
端的に述べると、明け方を起きられないと頭がボーっとするということです。

厳密には明け方を起きられず、ずっと寝ていて、目が覚めてもグダグダしていてスマホをいじっている状態になると、一連の流れが終わって起きる頃に頭が動いていないことに気づくのです。
この状態になるととてもつらくて、

考え事をしていてもうまく考えがまとまらない。

なんかすっきりしないし、じっとしてられない。(いつもそうだけど、特に暴れたくなるくらいじっとできない)

前頭葉の辺りが刺さるように痛い。

という状態になります。
私の特性はもともと前頭葉の働きが弱いところから来るのですが、それがもっと弱くなっている感じですね…。

ある意味、これは感謝することでもあります。
なぜなら、神様が願っている明け方を呼び起こす必要性が、私の肉体の次元でも一致しているからです。
それは、切実にもなりますよね…。

だから、たとえ夜が遅くなっても、日が回りそうになっても、なんとか明け方を死守しようとするのです。

もちろん、起きられない時もありますが、そういうときでも「起きてから最初に礼拝を捧げる」だけでも違います。
お祈りして、賛美して、御言葉を聞く。その時間を確保するだけでも頭の回りがだいぶ違います。
そう考えると、「一日の初めをどう使うか」は本当に重要だと感じます。

頑張って、明け方お祈りして快適な信仰生活をしていきたいです\(^o^)/

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

日常生活カテゴリの最新記事