私が治さないといけない根性とは

おはようございます、satoです。
今週は「罪と悔い改め」について色々宣布されており、私も今自分が治さないといけないところが何かを探している状況です。
実は今週割と体の調子が良くなく、どうもうまく噛み合わない日々が続いていました。
それで、お祈りをしながら「私が今一番治さないといけない悪い癖」とはなんでしょうか?と考えた時に、今日気づいたことがありました。それが

「ちょっとできなさそうなことがあるとすぐに中止しようとする」ことが多いということ

です。何かあると「止める」選択肢を取ろうとしがちなんですよね。

詳しく書くと「この状況だったらできない、あるいはできなくても仕方ない」という状況だと手放してしまうということが最近多いなと。
たとえば、風邪を引いて寝込んでしまった、という状況の時に「それでも祈る」とか「それでも聖書を読む」とか、それができなさそうと「多くの人が」思う状況なら止めてしまいます。この判断基準が「神様」でなく「多くの人」なのがよくないところです。
もちろん、この場合祈ることはやめてはいけない反面、たとえば明け方起きて教会に行くことは難しいわけですが、問題はその判断基準が「神様」でないことかもしれません。

こう書いてみると、確かに私は「他の人に大変ですよね、とかそこまでしなくても、と言われると止めてしまうな」と気付きました。
自分の中で「止めたい」と思っても止めることはあまり無いですが、人の言葉で考えを変えることは割と多い気がします。
それが良い場合もありますが…こうしたらいいとか言われたらすぐにやるところとか。

こう考えてみると、私って根っこのところは人に言われても変わりませんが、行動方針は結構人の考えに依存している部分があるなぁ…と改めて気付きました。
では、それをどの方向に直すか、といえば「神様と相談して決める」なんですよね。自分で決めたことに固執するとか、人に言われて変えるとか、人がこう思うからこうしよう…でなく。
判断を御言葉に合わせつつ「神様と相談して決める」。こうできたら自分の信仰の次元がまた上がりそうなんですよね。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。