「愛と許しと寛容だ」

おはようございます、satoです。

私は今まで「高評価」を受けることが苦手でした。
自分は自分を知っています。だから、自分の出来ないところ、間違っているところも全部知っています。
失敗も、罪も全部。

だから、高評価を受けるといつも「それは本当の私ではない」と考え、否定していました。
そのことが私を苦しめました。実際、自分はそういう評価を受ける人ではないから。
見かけ立派そうに見えるけど、自分は自分を治めきれないし、時間を上手く使えないで、つまらないことをしているし…。
そういう自分を知っているから。

ある時、神様がこのように話されました。

「どうして、あなたは本当の私でない、と否定するのか?否定するのではなく、そのように評価を受けたなら、そこを目指して頑張るべきではないか」

この感動を受けて、正直私はビックリしました。そして、それと同時に納得もしました。
自分が自分を否定する、ということでもなく、さりとて、評価通りの自分である、と考えることでもない。
「評価された自分を目指す」という考えにとても納得がいきました。

罪を犯したなら、悔い改めをすればいい。そうすれば許されて、もう一度義を行えばいい。
神様を愛するのが本当の自分でないなら、神様を愛する自分にすればいい。
それが神様の考えでした。

何か間違いを犯した時、人は人を罪に定めます。あるいは、自分自身を。
だけど、神様はそうでなく、ひたすら愛して御言葉を与え、自ら悟って罪から離れることを待ちます。
その愛がどれほど大きいでしょうか。

摂理の賛美「愛と許しと寛容だ」。この賛美は神様の大きな愛を表す賛美です。
その賛美を歌うと、神様の愛に触れ、自分自身を許し、神様に悔い改めさせる力を持っています。
その神様の大きな愛に触れて、人が見てくれる「輝く私」になれるように、頑張ります。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。