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ただひたすら、神様だけを見つめて。

ただひたすら、神様だけを見つめて。

-神様だけをひたすら愛し抜いたその姿が、とても美しくて、愛おしくて。-

 

こんばんは、satoです。

今日この日記を書こうとした時に、いつものパスワードを打ち込んだら

「パスワードが違います」

というメッセージが。

あれ?と思った私ですが、よくよく考えたら少し前にパスワードを変えていました…。

皆様も入会したはいいけどしばらく使っていないサイトに入ろうとしたときに経験があるのではないかと思います。

焦る私。とその時!

 

「あ、スマホの方から入ればいいじゃん!スマホの方はまだログインしていたはず…」

 

という感動が。すぐにスマホを手に取り、ネットに繋ぐ。うん、やっぱりログインしたまま!(良い子は真似しないでね(笑))

よし、あとはここからパスワードを…と思ってプロフィールを押したところ…

 

「ログイン画面」に戻りました_| ̄|○

 

うん、時間だいぶ経ってたもんね。

内心「終わったぁ…つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚」という私。

あぁ、どうしよう。こういう時、だいたい思い出せないまま終わっちゃうんだよなぁ。いつもはパスワードリセットするんだけど、これは合同ブログだから何かしら大変なのかもしれないし…時間もかかるかも。あと、若干恥ずかしい(笑)

今日は私の担当日なのに…と色々思った矢先、

 

「私のパスワード、もしかしてこれかも?」

 

という感動が。最近私のパスワードはある法則にしたがって作っていたのです。とっさに頭に浮かんだそれをパスワードに打ち込んだところ…

いつもの編集者用ページの画面にキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

ハレ━━━━(゚∀゚)━━━━ルヤ!!(←この顔文字流行らせたい(笑))

 

うん、本当に神様は感動を通して働かれますね。本当に感謝します。

今日の御言葉で「神様と聖霊様と御子は大きく分けて二つの方法で働かれる」とありましたが、その一つがまさに「感動」でした。まさに、感動を通して助けてくださった神様を体感した瞬間でした。

 

前置きが長くなったけど、本題へ…

 

ところで、神様が働かれる「二つの方法」とありましたが、もうひとつは何なのでしょうか?

それは…

神様の御心でないことは状況を変えてできないようにする

ことなのです。たとえば、

あるデパートに行った時にふと「別のところに行きたい!」と感動が来たり、車を停めるところがなくなったりで、別のところに行ったら…行こうとしていたデパートが崩れていた…

とか

ある橋を渡る直前に「トイレに行きたくなり」、橋を渡る前にトイレを済まして戻ってみたら…
渡ろうとしていた橋が崩れていた…

というように、自分たちが御心でない方に行こうとした時に神様が状況を変えて行けないようにすることなのです。ちなみに、この二つのケースはいずれも実話です。

この二つのケースからもわかるように、神様の御心でないところに行くと自分が経済的、肉的、精神的に損害を被り、最悪死ぬ場合もあります。

言い換えると、神様が状況を変えてできないようにするとき、それは神様がより良い方に導こうとしてしてくださったことなのです。端的に言うと、これもまた祝福なのです。

 

しかしながら、人間はたいてい自分の思うようにできないと止めた人や神様を恨み、「どうして自分ができないようにしたんだろう?」と不平不満を抱き、口にします。私も、摂理に来てからも、来る前も、自分が失敗したときには「あぁ自分がダメだから…」と落胆したり、「どうして自分だけできないんだろう…」と神様を恨んだことが多かったです。

そう、こうやって神様はその人のためにしたことなのに、多くの誤解をされています。人は見えることしかわからないから、そうなのです。

 

だから、自分のしようとしていたことがうまく行かず、違う方向に行ったとしてもそのことで神様を恨まず、「あぁ、これは神様の御心と違うのか!もっとより良い方向に神様が導いてくださるんだ!」と感謝することがどれほど神様にとって喜ばしいことなのでしょうか。

 

鄭明析先生はまさに、そういう生き方をした方です。

先生は神様から将来起こることを教えてもらったわけではありません。それゆえ、先生が行なったことでうまく行かなかったこともたくさんありました。しかし、先生は自分の足りなさを思いつつ神様がより良い方に導いてくださることを信じて、ひたすら感謝して続けて行いました。

考えてみれば、これは神様に対する絶対的な信頼と愛の現れです。

神様だけをただひたすら見ていたその生き方、その愛が、どれほど愛おしく、美しいことでしょうか…。

終わりに代えて…

 

春の象徴、たんぽぽ
春の象徴、たんぽぽ

韓国には「一片丹心」という言葉があります。どんなものをも見ず、ただひたすら一つの心で行なうことです。この象徴が春に咲くタンポポなのだとか。タンポポはどんなに踏まれても、踏まれても、決して倒れず、綺麗に花を咲かせるから…なのでしょうかね。

春といえば…今年は北海道も雪がすっかり溶けて暖かい春がやってこようとしています。こんなに暖かい春は…何年ぶりでしょうか?

昨年の春は聖霊集会で多くの恵みを受けました。その際、主日に桜が満開に咲いたことを思い出します。その前日は雨で、花が咲かないだろうと言われていたにもかかわらず、です。この時も予想を大きく上回る「奇跡」が起きています。

今年の春は、果たして、何が起こるのでしょうか?そして、その春を通して神様は何を伝えようとしているのでしょうか?それを心に思いつつ、春を待ちたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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