話題の『スマホ脳』を読んで

おはようございます、satoです。
今日は最近話題となっている(と評判の)『スマホ脳』という本を読んで思ったことを書こうと思います。

というのも、7月頃にある方からのアドバイスで『もっと本を読もう』とあり、これを実践するために『人々が勧める本を読んでみる』ということを決めていたのでした。『人々が勧める本』なのは、より自分の考えの幅を広げるには良いかな、という理由です。『自分が読もうと思った本』だと結構偏りが出そう(ラノベとか)なので。

それで本屋に行って、『スマホ脳』ともう1つ谷川九段が書いた『藤井聡太論』という本を買ってきました。ちなみに後者については買ってすぐに読み終え、記事にしようと書いていたのですが、2000字くらい書いたところで全部消えてしまって…゚。゚(゚´Д`゚)゚。。
あれから、藤井二冠は王位防衛を果たし、まずは二冠を維持、さらに叡王戦を2勝2敗として次戦が最終決戦、さらにさらに竜王戦も挑戦者決定戦に進出し、永瀬王座に1勝、本日行われている第2局に勝つと竜王にも挑戦します。
(と午前中に書いたのですが、連勝し、挑戦することとなりました)
なお、いずれも挑戦する相手は豊島竜王ということで、これまでも相当な接戦を繰り広げてきました。やはり、豊島竜王は強いですね…。
これはこれでもう一度まとめていこうと思っています。

そんな『藤井聡太論』はどちらかといえば私が読んでみたいと思った本なのに対して、本日のテーマである『スマホ脳』は人に勧められた本です。どちらかと言えば読みたくない方の本で…読み始めたのが1週間前でした。

で、本日やっと読み終えたので、レビューを書いていこうと思います。結論から言うと

自分の経験や感覚と合致しており、今後のデジタル化を如何に過ごすのかについて1つの指針になりうる

という感じです。

人間の脳の原理

この本の特徴として、「スマホに触れてはいけない」と単に話すだけでなく、人間がどういう脳を持っていて、これまでの人間がどういう生き方をしていたのかからしっかりと考察している、というのがあります。
『スマホ脳』によれば、人々はこれまで猛獣、感染病、飢餓や他の人間からの脅威に晒されながら生きていて、それらから身を守るための『安全装置』が脳に存在するということが挙げられています。
たとえば、何か自分の身に危険が及ぶ時には「素早く体が動けるように」心拍数を上げたり、他のことが目に入らないように情報を遮断するように、脳が動きます。
また、より周囲に注意を向けることが重要なので、1つのことに没頭するよりあれこれ動くようになっています。
これが脳に備えられた『安全装置』です。

ところが、人間の生きる環境はここ100年(特に戦後以降)で大きく変わり、突然何かしらの脅威によって命を失うことも少なくなり、食事にも困らなくなりました。この変化に脳が追いついていない、というのが『スマホ脳』における第一のポイントです。

人間の脳は長い時間(数千年単位で)をかけて、遺伝子を変化させることによって、環境の変化に対応してきました。だからこそ、今の人類の多くは様々な脅威から生き延び、今に至るのです。
そんな人類にとって「ここ100年の変化」は全体に比べてまだ短く、特にスマホを中心としたインターネット生活(あるいは、テレビなどのスクリーン生活を含めても)はさらに短いので、当然脳は適応できていない、というわけなのです。

この脳に備えられた『安全装置』については、私も実感するところが多かったです。確かに、私自身もどちらかと言えば「身を守るために」悪いことを考えたり(事前に予測して対応するため)、周囲に気が向きがちでした。
人間の場合「コミュニティから追い出されること」も脅威の一つとなっているため、何かしらの失敗をして「不安に陥る」のはこの脳の(ある種過剰な)防衛本能と言えそうです。
これらの私の傾向は全て『生き延びるための本能/脳の機能』に従っていた、ということが分かりました。

余談ですが、私はこのあたりの生存本能が強いと常々感じており、そのためか色々な脅威に対する反応は敏感だったりします。
たとえば、悪感情を持っている人からはすぐに離れようとしたり、「目に見える」車には常に注意を払ったり。
ただ、「目に見えない」ものを認知する力はそこまで強くないため、後ろから知り合いが来てもよくわからない、ということは多いです。
あと、「生き延びること」にはとても強いのですが、それより上の「より良く生きたい」という感覚はつい最近まで持てておらず、そのあたりがここ2,3年のもがきの1つでした。

スマホと脳

これらの脳の特性を理解した上で作られたのがスマートフォン、特にiphoneというわけで、『スマホ脳』では

如何にして、脳がスマホを手放せなくなるか

について事細かに書かれています。

たとえば、先程の『安全装置』の1つとして「危機に対する敏感さ」があるのですが、それを活かしたのがフェイクニュース。あれは事実かどうかより「如何に相手の心に危機を感じさせるのか」というものに重点をおいています。そして、人間の脳にある『安全装置』は(それが本当かどうかは別として)「危機」を感じて、読もうとしてしまうのです。

脳内成分の一つである『ドーパミン』がこのあたりの脳の動きに大きく影響していて、これは脳に『何に集中すべきか』を伝えるための成分とのことです。このドーパミンが大きく出た時に大きく興奮したり、好奇心、ワクワクが出るのは「それに集中するため」なのです。そして、ドーパミンが一番出るのは、行う時…でなく、その直前、つまり「情報がはっきりわかっていない」時なのです。
あんまりここには書けませんが、私自身を振り返っても「実際に読む時」より「読む前の予告を見ている時」のほうがより興奮度が高いですね…。

スマホ、より正確にはSNSやYouTubeなどはこの脳の原理をうまく使っていて、常に「次の情報はこちら!」とリンクを出しています。それが気になって、次、また次、と見てしまうのが「スマホを一度見てしまうと何時間も奪われる」という現象なのです。

私はまさにこのタイプでして、たとえばあるアニメを全部一気に視聴したことが最近もあったのですが。このアニメ、実は全く興味もなかったし、見る気もなかったものなのです。
そのことを振り返ると

YouTubeで一部抜粋されている動画を見る→別の抜粋されている動画を見る→だんだん気になってU-NEXTで1話を視聴する→そしたら次も気になって見ていく→…気がついたら最終回

という感じです。まさに『スマホ脳』に書いてあるとおり。

このように好奇心がそそられるように作られているのが、現在のスマホであり、ネットの世界なのです。だから、より中毒になりやすい。
このことを知っているからか、iphoneを発明したかのスティーブ・ジョブスは子供にiphoneを触らせなかったし、多くの有名SNSを創設した人がこぞって「スマホ(SNS)は危うい」と話しているのです。

スマホが脳に与える影響

では、このようにスマホを長く使うことで果たして脳にどのような影響があるのか。
『スマホ脳』では色々な観点からその影響が書かれています。

・相手からのメールや新しい情報が現れるたびに反応するスマホに気を取られて「たとえ手に持っていなかったとしても」注意力が散漫になる

・そのために、集中力が落ちて作業効率が悪くなる

・SNSによっていろいろな人との比較に陥り、自分に自信が持てなくなる

・睡眠の質が悪くなる

等々。これらがスマホによって起きたことなのかについては慎重に検討しつつ、多くのデータによってこれらのことを検証したのが『スマホ脳』のポイントの1つです。

私自身の経験-摂理に来てから頭が良くなったわけ-

ここで私自身の経験を話していきたいと思います。

私は比較的「頭を動かす」よりは「反復練習することで身につける」のが得意だったため、高校までの勉強はそれなりに上手くできました。しかし、一方で

・授業中ノートを取る(黒板を写す)だけで、話はほぼ聞けていない。

・注意力が散漫で興味がすぐに移りやすい

・なにか見るものがないと話が入らない。耳からの情報が処理できない。
(特に御言葉を聞いているときは、ホワイトボードの情報しか入っておらず…BSが全然入らない)

・新しいことに遭遇した際に考える力が弱い

ということがありました。これは大学受験を経て大学進学・大学院進学と進むにつれて段々と深刻になっていきました。

ところで、大学生になってしばらくして摂理に来るようになりましたが、そこで「お祈りしている時にやたら漫画の場面が浮かぶのが嫌」ということがきっかけで、それまでずっと見ていた漫画・アニメ・動画等諸々を一切見なくなりました。(ここで一つ強調したいのは、摂理の御言葉で「見てはいけない」と言われたことはなく、あくまで「自分が集中したいから」そうしたのです)

それまでは家にいたらずっとテレビがついていて、目の前には漫画やら本やらがたくさんありました。さらに、ゲームもしていましたから、(さすがに夜は止めるように言われていました)、相当に刺激が強いところでした。
(加えて部屋は一切片付いておらず、注意力が散漫になるしかない環境でした)
また、大学生になって一人暮らしをしている間も基本的にはパソコンで動画を見たり、アニメを見たりしていました。それも家にいるときは常時。徹夜でアニメをイッキ見とかよくやっていました。

そんな生活を止めて、お祈りと賛美を中心とした信仰生活…とまではいきませんが、摂理の教会を中心とした生活を続けていましたが、次のようなことが起きました。

・御言葉を聞きながら、何も見なくてもある程度話がわかるようになった。
(耳からの情報処理が遅いのは、元々の傾向もあるので完全にはできませんが、それでもぼーっとしているということはなくなりました)

・大学の数学が理解できるようになった。大学院での研究ができるに足る力を会得した。
(大学の数学は高校までと違って、論理的思考力、つまり考える力がかなり必要です。大学数学が理解できるようになった、ということは考える力がついてきた、ということでもあります)

・ある程度集中力・持続力がついてきた。
(具体的にはお祈りとか、じっとしていることでしょうか。これも元々の傾向が多動気味なので、普通の人よりは…ですが)

これらの原因をお祈りや賛美、信仰生活、御言葉にすることも間違いではないですが、個人的にはメディアに触れる時間が大きく減ったことで、脳のキャパシティが回復したのではないかと思っています。

その証拠として、2,3年不調でメディアに触れる時間が多くなった際には摂理に来る前の状態に戻った気がしますし、

・新しいことの意欲が続かない。
(やろうと思う心はあるが、いざやると集中力が切れてしまって途中で止めてしまう。
なお、この影響が一番大きいのはブログだったりします。私の記事の更新頻度を見てもらえると分かります)

・研究とかで新しい発想が浮かばない、計算力が落ちている。
(数学自体はちゃんとできていて、この間も新しいことを理解できてはいますが…特にYouTubeにハマっていた間は数学をあまりしてませんでした)

・睡眠の質が悪い。
(時たまメディアを切ると、今度はずっと眠い、ということが起きたりします)

ということも起こりました。で、つい最近メディアを切ると、特に数学の研究が大きく進展したりしました。
ブログもご覧の通り、続けて発信しております。
(睡眠の質が悪いのは割と慢性的なものもあるので…実は小学校の時から寝付きが悪いのです)

個人的感想ですが、『スマホ脳』ではスマホが脳に色々な影響を及ぼすと書いてあるのですが、個人的にはスマホだけでなくテレビなどのスクリーン全般でそのようなことが起こるのでは、と思います。ただ、スマホはより最適化されているだけで。

結論・思ったこと

『スマホ脳』では最後に、このようなデジタル中心の生活において何をすべきなのかをまとめてくれています。
その中には「運動」や「人と対面すること」も含まれていますが、見ていて鄭明析先生が御言葉で話されている内容がほとんどだなと思いました。
なので、摂理にいる人は、御言葉を実践すると自ずと脳が回復してパフォーマンスが良くなると思います…いえ、なります。
(他ならぬ私自身が『スマホ脳』に書いてあったことをここ2ヶ月(知らぬ間に)実践していたのですが、本当に機能が回復し、パフォーマンスが良くなっています)

『スマホ脳』というタイトルと帯の文で誤解しがちなのですが、デジタル、特にスマホを切って生活することは現代社会では相当に難しいし、完全に切ることを勧めているわけではない、と私は思います。
あくまで、スマホが与える影響を客観的に考察し、もしその影響が強く出ていると思ったら離れてみるのを勧める、くらいの内容だと考えていいです。

実際、メールやSNS(特にLINE)は仕事でも使います。(私のバイト先はLINEで業務連絡が来ます。なので、スマホは必須なのです)
また、摂理では特にオンライン礼拝を勧めていますが、具体的にはインターネットを介して、各自のデバイスでLIVE配信を繋いで、各自の位置で礼拝を守っています。それがなければ、コロナウイルス流行の状況下で御言葉を聞くことすらままならないのです。
あと、賛美もスマホでよく聞きますし、研究もスマホやパソコンで検索して資料を仕入れます。

このように、デジタル化による恩恵は本当に大きいし、それによって世の中が大きく変わりつつある、というのは避けては通れない事実です。
しかし、その変化は急激で、脳が追いつかない、というのもまた事実。うまく使わなければ無数の情報で脳が動かなくなり、むしろ苦しくなります。
だからこそ、オンラインとオフラインのバランスが大事なのだと私は考えます。『スマホ脳』ではスマホは一日2時間が限度、とありましたが、それは正しいなと思います。

『スマホ脳』といえば、鄭明析先生が一時期『脳』という最高のスマホを使いなさいという御言葉をよく話していましたが、これは言い得て妙です。人間の『脳』はスマホが与えてくれる以上のものを創り出す力があり、スマホにはほぼ不可能な「無から有を創造(想像)する力」が備わっています。また、『脳』を多く使えば、その分機能がもっと良くなります。
なので、もしスマホを使っていて限界を感じているのならば、スマホから一度離れて、人間なら誰しもが初めから持っている『脳』を使って、色々考えてみるのを個人的にはオススメします。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。