おはようございます、satoです。
前回書いたように、自己否定からの脱却の方法として過去自分が持っていた悪い感情を神様と共に受け止めていくということを行いました。
自分の中にいるペアレント役はおそらく学校の先生で、言われたとおりにしなければいけない、という言葉を与えているようでした。
しかし、これまでの経験から神様がどういう風に自分に働きかけるのか、どう受容してくのかは分かっていたので、神様と一緒に、自分の過去辛かった思いや怒りを受け止めてあげました。
そうしたところ、今日の明け方、精神的に安定しているのが感じられました。
今朝の祈りは本当に感謝が多く、特にこれが今の私がすべき実践なんだ!と強く感じられたことに感謝をしていました。
これまで「実践しよう!」と思っても、どことなくぼんやりとしていて掴めなかったのですが、昨日のこの『受容してく』というのが今の私がすべき実践だ!と強く感じられたのです。軸が見えた気がしました。
さらに、このような祈りをしていた時、鄭明析先生の御言葉でも
実践したら一度で悟ることができる
とか
感謝をするけど、一度では伝えられないから何度でも伝えるんだ
とか、とても共感できる内容が含まれていました。なので、方向性としてはこれで良いんだなと感じるようになりました。
…が、その後御言葉を聞いて、なんとなく神様がもどかしく思っている?というのを感じました。
自分は過去の経験から自分を抑圧しがちで、そのために「御言葉を聞けていること」や「今生きていること」への感謝が弱い、というのは感じておりました。そこの解決のために自己受容を行なっているのですが、もう少し早くできるというのをなんとなく感じました。
では、どうしたらもっと早く自己受容が進むのでしょうか?
一つ確実なのは自分から何かしらを行なってこそ変化が早いのだ、ということです。先程の御言葉でもそう書いてありました。では、何を?
と振り返ると自ら願い求める、そのために条件を立てることのように思います。条件、というと難しいですが、自分で聖書を読んだり、祈りをしたり、というようなことで、神様が何かをしてあげたいと思う時に受け取るための準備と考えると良いでしょう。
今も明け方の祈りとかはしているのですが、どこか方向性が曖昧だったように思います。
この自己受容に集中して、色々準備をしてみようと思います。
…今日はあんまりまとまっていないのですが、ひとまずこんな感じで( ・`ω・´)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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