やっぱり、私は私の特性があるよね。

こんばんは、satoです。

私は昔から「怒っている人」や「悪口を言っている/言われている人」、「喧嘩している人たち」を見るとどうして止めたくなる衝動に駆られてしまいます。
本当にこれは昔からで、小学校の時も喧嘩している男子と女子を見て「どうにかして止められないものか…いっそ私が敵になって追いかけまわしているうちに仲良くなる…という感じにしようかな…」と思うくらいで、担任の先生が来て喧嘩を止めるように言うと「そうだよ!!止めようよ!!」と泣きながら大声で言ったこともありました。

なので、ツイッターでよくある「炎上」とか「悪口」を見るとやはり止めたくなるんですよね…。
生まれ持って「平和」を求める傾向にあるようです。

炎上する側にも何かしらの考えがあって発言していて、それに対して非難する人にも一定の理由があるようです。

たとえば、

女子大生社長・椎木里佳氏のツイートが炎上「勝ち組の自己満足」

こちらの記事では「ぼろぼろの人がいてお金を渡そうとしたけどできなかった」という話に対して、「上から目線」と非難されています。

実は私もこれと同じような経験をしていて、困っている人にご飯を渡そうとしたけど渡すことができなかったんです。
だから、この話を聞いてちょっと気持ちがわかるなぁと感じていました。

だから、というわけではないですが、こういう炎上を見ると、やっぱり「どうしても止めたい」と思うんです。

「○○は危険だ!」という政治の話とか

「○○は悪だ!」という事件の話とか

全部「止めたい」んです。
でも、それを力ずくで止めることは私にはできません。それこそ「偽善、自己満足」なんですよ。
それに、「無理やり止めようとする」のは、「平和を求める」私には正直負担なんです。

それなら、どうしたらいいんだろう?

やっぱり、私には「私に合う」方法でするしかないんです。
止めようとか考えず…私は「私が好きな、楽しい日常」を描くことで「平和」を作っていきたいです。
非難する人は「非日常」の中にいます。それなら、私は「日常」という世界を描くことで、戻れる機会を作りたい。
何よりも、私自身が「書いてて楽しい」のって、そういうことなんですよね。
(私の日常を描こうとしたら、ほとんどが数学の話になってしまうのはご愛敬…ということで(笑)だから、いつも書くの苦労してるんですよね)

今日は久々にすべきことがスムーズにできるようになりました。
また、昨日から少しずつ他の人と交流を持てるようになりました。
そういう変化を通して、「平和を愛する」神様が働かれていることを感じます。

賛美を聞きながら、すべきことに集中し。
他の人と話しながら、考えを共有したり、改めたり。
美味しいご飯を食べて、頑張って。
ネットで新たな知識を得て。

そういうことができる「平和」な世界をくださることに、本当に感謝です。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。