つらいと出てくる「分かってもらいたい病」。

こんばんは、satoです。

ついにやってきました、GW!
初日の今日、北海道札幌市は…

みぞれが降っていました。

…昨日までは春の陽気を感じるいい天気だったんですけどね…。
お出かけも出来ず、部屋で過ごすことになったGW初日。私は

布団で寝込んでいました。

…昨日から風邪を引いてしまいましてね…。
思えば、今週はずっと体が疲れていて、睡眠時間も不安定だし、昼間もちょくちょく眠っていました。
それで体力が奪われてしまったのかもしれません。

人は疲れている時ほど「自分の悪い部分」が出てきます。
良い時は誰でも嬉しいし、楽しいです。そういう時に血気が出たり、怒ったり、悲しんだりする人はそうそういません。
しかし、疲れていてつらい時、苦しい時には色々な感情が出てきます。
私の場合、それが「どうして人は分かってくれないんだ…」という考えです。これを私は「分かってもらいたい病」と呼ぶことにします。
特に、自分が色々やってて自分のキャパを超えて「頑張っている」と思っている時にこういう考えが出てきます。
それで、失敗をしたり人に指摘されると、イライラしてしまって「なんでこの人は分かってくれないんだろう。私にはこういう事情があるのに…」という考えが出て、人を恨んだり、血気が出てくるのです。

人が自分のことをすべて分かってくれるわけでもないし、人に理解してもらおうと思っても、それを伝えて理解してくれても、なんか申し訳ないし…。正直考えてもつらいだけです。
が、どうしてもこの考えが取れないまま過ごしていました。

そもそも、この考えが出てくる時って、神様より人をもっと見ているんですよね。
肉体が疲れていると、脳もそこまでうまく働きません。そうなると、考えが霊的なところより肉的なところにもっとシフトしてしまいます。だから、疲れている時はより人を見てしまいます。あるいは、目の前にあることでしょうか。
そういうわけで、こういう考えが強く出てくるのです。

では、この考えをなくすにはどうしたら良いでしょうか?
人にわかってもらおうと主張する?それとも、ストレスを解消するために好きなことをする?
それでも良いのですが、私が今日したのは神様のことをもっと考えることでした。

神様は私のことを愛してくださっています。
そして、私は神様に多くのものを与えられました。そのことを私の霊はよく分かっていて、霊界で喜び感謝をしています。
しかし、肉がそのことを考えないと、そのことを感じられなくなってしまいます。
だから、正直肉的にはつらい状況でしたが、「霊の力を借りて」神様のことを考え、霊の方に集中していました。そうすると、賛美をしたり、感謝を捧げることが辛くなくなりました。考えが良い方向に向かい、それに合わせて心もより神様の方に近づいたのでした。

自分がつらいこと、努力しても人に分かってもらえないこと。
そのことを神様はご存知です。だから、神様はそのことを分かって助けてあげようとしています。
それを分かって、もっと神様に委ねて行ったら心が楽になれると思います。

それとは別に、このように御言葉が多くの苦労と労力によって与えられているんだなということも感じました。
それを思うと、もっと御言葉を感謝して聞きたいなと思います。

休養中の一日でしたが、自分の悪い部分と向き合えたことに感謝します(^o^)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。