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摂理の御言葉はスポ根のようで、しかし「ただ根性」ではない。

摂理の御言葉はスポ根のようで、しかし「ただ根性」ではない。

こんばんは、satoです。
摂理の御言葉は「実践」を目的に伝えられています。
それゆえ、摂理の御言葉を完全に理解するためには行なうというプロセスが必ず必要になります。鄭明析先生も実践の中でこの御言葉を悟り、理解していったからです。
というわけで、摂理では
何があっても行いなさい。
とにかくやってみなさい!
感じるまで続けなさい!

というスポ根のような御言葉が多く出ます。
しかし、ここで誤解してはいけないのが
摂理の御言葉はただの「根性論」とは異なる
ということです。
というのは、摂理の御言葉でもっとも重視されるのは神様に向かう愛であり、神様の一対一の愛なのです。もちろん、行なうことは大切なのですがそれが単なる義務や強制ならば何の意味もありません。神様を愛して、自ら喜ぶ心ですることによって、初めて神様が満足される行いになるのです。
そして、もう一つ大事なのは
神様は無条件、「自分一人を」愛している
ということです。それも恋人のように愛しているのです。これに気づくか否かで、摂理の御言葉の聞き方が変わります。
どれくらい変わるか、というと…。
私の場合、「摂理の御言葉を読み返す」ということをとてもとても苦手にしていました。その理由は色々あるのですが、根本的なところは「神様が御言葉を読み返さないと愛してくれない、という誤解」から来るものでした。
私はこの手の誤解をすることが多く、御言葉で実践の話が出る度「それをしなければ愛されないのではないか?」という不安が無意識下で出てきて苦しく感じられていたのです。
その時、あることを通して感動を受けて「御言葉を読み返さなければならない!」と思い、先の感情と闘いつつなんとか御言葉を読み返しました。
今週の御言葉を少し引用すると
このように<引き上げの価値>を悟って、感謝し、喜び、宴会をして生きなければなりません。なぜならば、<引き上げ>は「永遠な地獄」を免れることの保証であり、「天国」を手に入れることの保証だからです。
たとえば、この部分で「感謝しなければならない」と書いてあるのを感謝をしなければダメだ、資格を失う、愛されないと聞くと、とても苦しくなりませんか?私はこのような誤解をしていたのです。
しかし、この部分はそうではなく
御子はすでに私たちを愛して、永遠な地獄を免れ、天国に行く<引き上げ>を与えた。だから、あなたは「感謝し、喜び、宴会をして生きる」ことでその喜びを享受してほしい!
と、御子が先に愛してしてくださったことがあるから、それを自分が受け取りさえすればいいと見ると、希望的で嬉しく、愛の言葉に聞こえます。
事実、私はそのように誤解が解けて、心の荷が一気に降りました!
いつもいつも、神様は私たちを先に愛してくださいます。それゆえ、多くのものを与えています。
しかしながら、私たちが誤解して、あるいはよくわからず行わないことでそれを受け取れないことがあまりに多かったのです。
だから、早くその誤解を解いて、自分が行なうことで神様の愛の祝福を受け取ることを、まずは私からしたいなと思います。
こんな誤解だらけの私だけど、それでも愛してくださった神様に感謝を捧げます。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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