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「自分より次元の高いもの」を認識することは簡単でない。

「自分より次元の高いもの」を認識することは簡単でない。

こんばんは、satoです。

人は自分とはかけ離れた事象を認知することができません。
たとえば、戦争を経験したことのない人が戦争の恐ろしさを知識で知ったとしても、それを「実感」することはなかなか難しいです。それは今日本が「戦争」をしない平和な時代だからです。

人は、自分との力の差があまりに激しい場合、大抵そのことを認識できません。
バトル漫画にありがちな話ですが、新しく出たキャラのうち如何にも屈強で強そうなキャラクターAより、一見強くなさそうに見えるキャラクターBの方がもっと強いです。大抵、AがBを見て、「お前弱そうだな」と舐めてかかって、一瞬でBにやられる(それも何をされたのかも認識できない)という感じの展開で、Bが如何に強いのかを表現しますよね。
ちなみに、Bと同じくらい強いキャラクターとして「正体不明な感じ」が出ているキャラがいます。大抵、敵キャラです。

主人公を「霊力を全て捨てて身体能力を強化したのだな」と認識し、主人公の攻撃を自分の力だと錯覚した某ジャンプ漫画のラスボス。
最後に主人公の力が「自分が認識できないほど差がある」と分かったときに、ひどく驚愕しました。その後、自分も形態を変形させますが、あっという間に主人公にやられてしまいました。

このように、自分より次元の高いものを認識することは簡単ではありません。
(これは霊界の法則の一つのようです)

私達にとって、神様の愛とはそういうものです。
神様の愛はあまりに大きいです。その規模も、深さも人間が考えるよりはるかに次元が高いです。
それゆえ、人はこれを正しく認識することができません。ちょうど某漫画のラスボスみたいに。

自分が認識できないほどの差がある事象について、どのように接するでしょうか?
とっさに考えられるのは「それを認める」か「存在を否定するか」のどちらかでしょう。大抵は後者を選択しがちです。
しかし、たとえ「存在を否定した」ところで、その事象が存在することに変わりはありません。
そして、後でその事象を認識した時には…時すでに遅し、ということになります。ちょうど某漫画のラスボスみたいに。

「自分が認識できない事象を認める」という選択をしても、最初は感じられません。
しかし、それに従って行なうことで自分の次元が上がると、段々とその事象の本当の次元が感じられるようになります。
その時の衝撃はとても大きいです。

たとえば、金メッキの王冠があるとしましょう。
今まではそれが本物の金で作られていると思って貴重に思っていました。
若干軽い気がしますし、時たま剥がれているように感じますが、そんなものだと思っていました。

そこに、本物の金で作られた王冠をつけている人が「これが本物の金だよ」と話しました。
ひとまずそれを信じて、重さや光沢を見てみると、やはり本物のほうがきらびやかで丈夫です。
そして、その価値を知った時、初めて自分が貴重に思っていた王冠の価値のなさに気づくのです。

摂理の御言葉で言うと、

金を銀のように思い、銀を金のように認識する

という話です。

神様の愛も、そのようです。
ひとまず認めて、信仰生活を続けると神様の愛の偉大さを感じる時が来ます。
その時、自分が今まで大切に思っていたものの「本当の価値」に気づくのです。その時、「自分は如何にムダなものに投資をしていたのだろう」と思うか、「自分は如何に貴重なものに接していたのか」に気づくのか、それは人それぞれです。

神様の次元まで認識するのはすぐには出来ません。
しかし、信じて従うことは出来ます。それを最後まで行なうときに、すべての本当の価値を実感できることでしょう。
だから、その時を信じて今日も希望で生きるのです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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