好きこそものの上手なれ。~研究者になりたいあなたへ~

研究における一番大事なこと、それは…。

こんばんは、satoです。

昨日までお客さんが来ていたのですが、その人は以前東京で知り合った研究者の方で、年が近いこともあって色々話が盛り上がりました。やっぱり、同年代の人と話すと気が楽です。

そんな中、私が研究する上でとても大事なことに気づいたので、

今日はそれを研究をしたい人に向けて書きたいと思います。

何を、どうして研究したいのか?

この記事を読んでいる研究者になりたい方へ。あるいは迷っている方へ。

まず一つ質問をしたいと思います。

あなたは何を研究したいですか?

高校生だったら、まだ何を研究するか、まで考えられないかもしれません。

学部生だと大きな分野は決まっているけどまだ研究室配属されていなくて、よくわからない人が多いでしょう。でも、そろそろ研究室配属を決めなければならない時ですよね。

そういうとき、何を研究するか決めあぐねている人が結構多い気がします。実は私の周りでもここで悩んでいる人がいました。

実は、研究内容は山のようにたくさんあります。それが有益かどうかとか、そういうことはさておき、細かく見れば非常に多様な研究をしているわけです。だから、その中でいきなり選んで…というのは非常に難しいと思います。

さて、決まっている人も、決まっていない人も、もう一つ考えてみてください。

あなたはどうして(それを)研究したいですか?

これも色々なモチベーションがあります。

博士課程になると「今までしてきた研究との関連性」も考えなければなりません。つまり、

今までの研究は○○という対象をこの視点で研究していたけど、自分が研究しているものはこの視点に対して…

ということです。最も、こういうのはいきなり自分だけでできるものではありません。指導教官にしっかり指導してもらいつつ考えてみましょう。

ここでは上のよりもっと単純にどうして自分がそれを研究したいのかという話です。

論文が書きやすいから?

皆が注目しているから?

それとも、ただ学校の義務で?

色々なきっかけはありますが、その研究を持続するために必要なものは…ただひとつです。

その研究をしていて「楽しい」か?

本当に、これ一つに尽きると思います。

その研究が自分にとって楽しいか、自分が好きなのか。

これ一つさえあれば、どんなに難しくてもうまく行かなくても苦しくありません。

色々な仕事がありますが、自分が好きなことがこれほどに重要な仕事はあまりないと思います。

だって、研究ってそのことをずっと考えているわけですからね。もし好きじゃなかったら…ノイローゼになります(笑)

なので、高校生や学部生で何を研究するか迷っているなら

自分が好きなこと、面白いと思うこと

を選択するのがいいと思います。大丈夫、もしそれがうまく行かなくてもまだリカバリーはできますから(笑)

私の体験談

せっかくなので、私の話を。

私はずっと数学が好きでした。そして、自分の興味があるものを色々物色していました。

私の興味の幅はかなり広く、またその理由も

数式の形が面白いから

解読不能な感じがいいから

名前がカッコいいから(超○○というものが結構あって、大抵それに興味を持った)

など、非常にむちゃくちゃな理由でした(笑)

で、その途中で摂理に導かれ、神様を知ったのですが、それでさらに数学が好きになりました。一度学部時代に大学数学の難解さと厳密さに挫折をしていましたが、そこから本当の数学の面白さを見つけました。

院生時代は自分が興味を持ったことを色々やっていましたが、どれもうまく行かず、あちこち放浪する旅人のようでした。それでもなんとか一つの問題を設定、結果を出しました。

ただ、あまりに自分の興味ばかりが先行しすぎて、先ほど話した「今までの研究との関連性」についてまったくわからず、つながりが見えなかったので、現在はより関連性がハッキリしている問題を考えています。

このように、私の場合何回も研究内容を変えています。放蕩息子のように。

また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。 15:12ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。 15:13それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。 15:14何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。 15:15そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。15:16彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。-ルカによる福音書15章11-16節

その間、何度も私は本当に数学研究に向いているんだろうか…という考えが頭をよぎりました。実際、今でも向いているかどうかはわかりません。

ただ、それでもなんとか研究を続けていたのは神様との約束があったこととやっぱり数学が楽しかったからでした。

実は信仰を持つことを避けていた私でしたが、この放蕩を通して、私は信仰が入るようになりました。一つ一つの経緯が、今では神様との経緯になりました。

そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。 15:18立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。 15:19もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。-ルカによる福音書15章17-19節

そうして神様のもとに帰った時、私はさらに数学研究の楽しさとやりがいを感じるようになりました。本当に感謝です。

そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。 15:21むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。 15:22しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 15:23また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 15:24このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。

色々話せば長いのですが、今日はここまでにします。またどこかで機会があれば、研究を通しての経緯も話したいと思います。

最後に…できるなら、神様を先に知ってから研究内容を決めることをオススメします。そうすると遠回りする必要がなくなりますから。

<霊的>に、<神的>にしてこそ「10~20倍の時間」を掴んで使うようになります。<神的にすること>とは、神の頭を使用することです。つまり神様と聖霊様と御子の考えどおりに行なうことです。そして考えの次元を上げて、「迂回していく道」を直線で行き、「すべきでないこと」をしないことです。-摂理公式サイトマンデー「[鄭明析牧師による主日の御言葉から] 時間が速く過ぎて行くということを悟って、霊的に使いなさい」より

 

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。