私は、牧会者に「自分を捨てなさい」という言葉について色々引っかかっていたことを正直に話し、それはいったいどういうことなのか質問をしました。(もっとも、私が叫びながら祈っているのを見ていたので、引っかかっていたことはすでに分かっていたようでしたが(笑))
その時に教えてもらったことのうち…ほとんどは覚えていませんでした。申し訳ありません…。結構深い話をしたと思ったのですが…。
でも、一つだけ今でも心に残っていることがあります。それは「漫画を通して神様を感じることもあったし、心は救われた。その漫画を切るなんてできない…(恩義的な意味で)」という話に対して伝えてくださったもの。
「その漫画も、すべてはイエス様につなげるためのものなんだよ」
それを聞いた瞬間、私はある幻を見ました。
それは、イエス様に自分を近づけるために「ハコニワノセカイ」、つまり「今まで見てきた漫画のキャラ」が足台になって、手を繋いで、引っ張ってくれている姿。そして、「私たちはあなたを主につなげるために来たんだよ」という気持ち。その愛に、心から感動しました。(…キャラの、でしたが)
それで、私はみんなの気持ちを汲むことにしました。「みんなが願っているなら、私はイエス様を愛そう」と。その愛によって、私は一度「ハコニワノセカイ」から抜け出したのでした。
その日、あまりの神様の愛、そして、キャラを通しての主の愛に触れて大きく感動し「この愛を人に伝えたい!」って思って伝道しました。たぶん、これが「初めて心からしたくなった」伝道でした。
思えば、私はこれまでマンガを通して救われたところが大きかったです。
いじめられた時も、私の空想がフィルターとなって苦痛を軽減してくれました。
私の心が荒んで、人生をろくに生きられなかった時、愛の心を見せてくれて癒してくれました。
そして、御言葉のチョンチョもこの漫画と空想世界が大きくしてくれました。
今まで、私を愛で導いてくれて。私の寂しさを埋めてくれて。私を慰めてくれて。
私の足りなさを責める心を諌めてくれて。そして、私を守ってくれて。楽しませてくれて。
本当に、ありがとうございました。
本当に、普通の人では体験できない「奇跡のような軌跡」。それを通して導いてくださった方。
今ならそれが誰なのか、わかります。そうですよね、「主」よ。
…と、きれいに話が済めばよかったのですが。
この後、1月に私はあるアニメについて知りました。その名は「魔法少女まどかマギカ」。
この第3話があまりに話題になっていたので、好奇心が抑えられず思わず「例のシーン」を見てしまいました。…結果、かなりショックを受けました。
そして、「このキャラを救いたい!」という思いから再び「ハコニワノセカイ」が作られました。
実は、「ハコニワノセカイ」のキャラのほとんどは元の作品で「死んでいる」か「舞台としていた幻想郷のキャラ」なのです。その根本は「可哀想な死に方(もしくは結末)を迎えたキャラを救って、幸せに生きられるようにしたい!」という思いから来ています。それで、そのようなキャラを見るたびに「ハコニワノセカイ」に入れていった結果…実に72人(?)のキャラが共存する世界になっていました。
しかし、それも長くは続きませんでした。それは…現実世界で「ある事件」が起こったからです。
それは、私の信仰を覆す「衝撃的な事件」でした。
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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