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摂理人と神様とのいきさつ。:賛美が届いた!と感じた瞬間。

摂理人と神様とのいきさつ。:賛美が届いた!と感じた瞬間。

こんばんは、satoです。
今日は祝日なので、もう一つ記事を書きます。(昨日書けなかった分…(笑))
私は摂理に来てから、よく賛美を歌うようになりました。
賛美歌、歌うの大好きなんですよ(笑)
その中で私が「神様が賛美を受け取ってくださった」と感じた瞬間について、一つお話ししたいと思います。
私が摂理に来てから一番つらかった時期がありました。自分のなかにある様々な感情、気持ちが整理しきれず、自分を見失ってた時期でした。それで、摂理にいることがとても苦しかったのです。
そのときはちょうど「毎朝ある一曲の賛美を捧げる」という条件を立ててた時期でもありました。
あるとき、賛美を捧げているところで自分の様々な感情が出てきて、神様に向かう心が向かないときがありました。どうしたらいいのかわかりませんでしたが、とにかく賛美をしていました。
誰に向かって賛美しているのか、それもわからない。人を意識しすぎて、その人に聞かせようとしているのか。それでも、神様に捧げないと。
そんな感じでぐちゃぐちゃなまま、しかし、とにかく神様に捧げようと必死に賛美を捧げていました。
その午後、教会の大学生たちで御言葉を聞いたときのこと。その日は大学生たちで御言葉を聞く最終日でもありました。
伝えてくれた人たちにお礼のプレゼントを渡したり、色々したあと最後に締めの賛美を捧げようということになりました。
その時に中心となって進めていた人が提案した曲が。
まさに、私がずっと捧げていた、そして、その日ぐちゃぐちゃな心の中で必死に捧げていた、その曲だったのです。
私はこのとき…実を言うとあまり「神様が受け取った」とは感じられませんでした。「その人がたまたま私が歌っていたのを聞いていたのかも」と思っていたのです。(その人はしばしば私が賛美を捧げていたところにいましたから。)
しかし、今にして思えば、あれは神様が賛美を受け取られたしるしだったのだと確信しています。
私がこれまで捧げ続けた賛美。
そして、その日様々な感情が混濁するなかで必死に捧げた賛美。
それを受け取り、中心としてまとめた人を通してあの曲をみんなで捧げるようにさせたんだと、今なら思います。
ほんの些細な条件。
そして、自分では足りないと思っていた条件だとしても、神様はすべてご覧になり、相応しいものは受け取ってくださいます。
そして、それはいつか大きな代価としてプレゼントされるのです。それは…まるでドラマのように。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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