【摂理人が書く物語】二人の責任分担。アフター

この物語は「二人の責任分担。」の後日談です。
次の日の明け方。
A「主よ…感謝します。今日、Bが先生に対して心を開きました。これは主がしてくださったことです。
このことを通して、私は祈りが人をも動かすことを改めて悟りました。それに…先生の心情も…」
教会には熱心にお祈りするA、そして…。
B「主よ…感謝…します…」
眠い目を擦りながら祈るBの姿が。
前日…。
A「考えが鮮明な時は「明け方」だよ!だから、必ず「明け方」に考え、行わなきゃ!
B「…なるほど。しかし、私いつも思うんだけど。
明け方起きるとめちゃくちゃ眠たくて何も考えられないんだよね…。」
A「それは…体質になっていないからだよ。
元々起きてすぐは脳が睡眠状態だから、放っておくとすぐに寝ちゃうの。だから、まずは自分が体を起こさなきゃ。」
B「…めんd…いや、そうだ。
鄭明析先生が御言葉で頭をギュッ、ギュッとマッサージして刺激を与えると起きるって話してたね。」
A「そうだよ!あれ、本当にいいよ!
私も最初は明け方起きれなかったけど…」
B「うん、爆睡してたね。それでいっつも落ち込んで…」
A「自暴自棄…ってそれはいいから。
でも、起きて微睡んでいるうちに素早く頭に刺激を与えると意識が少しだけ覚醒するの。そして立ち上がる!」
B「…おぉ。」
A「それを繰り返しているうちに、最近は明け方起きたらすぐに体を起こせるようになったの。」
B「…そうなんだ。確かに最近はずっと私を起こしてたよね。」
A「やっぱり明け方にお祈りしていて、主の心情を感じることも多いし、生活の中でも天のことが悟れるようになったり、主が近く感じられるよ。」
B「ふーん。
じゃぁさ、明け方起きたときに、私は何をお祈りしたらいいの?」
A「それは…私にはなんとも。」
B「いや、意地悪しないで教えてよ。」
A「別に意地悪してるわけじゃないって。
その人の段階、次元によって何をお祈りしたら神様に喜ばれるかは異なるから…。あ、でも。
時代の主について悟らせてください、というお祈りは必ず神様が喜ばれるよ。だって、この時代の核心だもん。」
B「…そんなに長く祈れないよ。」
A「長くなくてもいいの。
とにかく切実に知りたい!って思いながら祈るといいよ。言葉としては同じことを繰り返し言うようでも、切実な心があれば…。」
B「…ふむ。」
そんなやり取りがあって、教会でお祈りするB。
B「主よ…私は…主について…知りません…Zzz」
…居眠りしてるけど。
B「…ハッ。主よ…私は…主に…ついて知りたい…です…。
今まで…御言葉を聞い…てきたけど…」
それでも、頑張って祈ろうとしています。
B「…もしかして、私は…自分の…考えで…Zzz…っていかん。せっかく来たのにこれでは…立ってみようかな…」
B「もしかしたら、私は自分の考えで先生のことも、…御言葉のことも見ていたのかもしれません…。悔い改めたいです…。
まずは…私の考えをすべて捨てて…御言葉を…聞きたいです。」
そういう人を、神様はどうご覧になっているでしょうか?
神様は…
Bさんのことを、愛おしそうに見ていらっしゃいます。
今まで何も知らず、引き上げのための時間を流していたBさん。
それでも、Aさんの祈りと行いを見て、自分の考えを置いて先生のことを知ろうとしている、その姿が、神様にとって…愛の姿なのです。
眠い目を擦って、居眠りしてるけど、祈りに挑戦するその姿が、愛の姿なのです。
彼女はこの先どうなるのでしょうか?それは…私にはわかりません。私は天使であって、神様ではありませんから。
しかし…。
いつも「御子」を考えて、「主」を考えてこそ、<万物>と<考え>によって伝わってくる「御子と主の言葉」がよく聞こえます。
彼女が、御子と主のことを考え続けるなら…
B「…あ…」
必ず、時代の主と会うでしょう。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。