決断に迷って時間を使いすぎる話

おはようございます、satoです。

私の特性で色々もがいているところはありますが、その中でも最も大きいところが決断に迷うところです。
…これが特性由来のものかは定かではありませんが^^;
ちなみに、今日もあることを人にお願いするのにどうしようか迷って、ついさっきやっと行うようになりました^^;

たとえば、私が何か「人にお願いしたい」ことがあったとします。
ですが、私は「その人にお願いをした方がいいのか」、「本当に行なって良いのか」で結構迷ってしまいます。
特に人に何かを話すこと、依頼することが本当に苦手です。おそらく「どうなるのか分からない」というところに不安を感じているからです。
そういう時、お祈りをして神様に質問すれば良いのですが、どうしても話すことが出来なくて、30分から長くて何日もの間ずっと迷って動けなくなるのです。それで作業が後々になってしまう…ということはもはや日常茶飯事です。

この場合、相談できない理由は前にも書いた気がしますが「負い目を感じる」ところがあるからです。
特に自分の予定が急に変更になり、自分の都合で予定を変えることに関しては相当に負担を感じております…^^;
だから、あまり変えたくない、というのが本音です。しかし、時にはそれが必要となる場合があるので、その時はめっちゃお祈りして構想をもらって交渉するようにしています。ある程度「やむを得ない事情」だと思われるように話すことが多いです。

大抵、これらの心にあるのは自分の都合で変えられるのは迷惑・わがままな人は信頼されないという認識から来るものです。
それで、不安になって表に出すことを恐れているのです…。

同様の理由で、「決定していないこと」を人に連絡する時、それに異様に時間が掛かることもあります。
正確には「いつ決まるのか」という答えが欲しいからわからない時点では連絡しなくていいという考えがあるから返信をしないことが多いのですが、どうも最近これは正しくないということが分かってきました。正しくは「ひとまず現状を連絡する」ということのようです。それがたとえ良くない状態だとしても^^;

これらに限らず何か引っかかってしまうとなかなか始められない、というのは私の弱点、かつ最大の克服すべきところなのです。
ちょっとでも気になることがあると、それにずっと引っかかってなかなか行えない・切り替えられない…という状態になるのは仕方ないこととしても、如何にそれを減らし、気になったらすぐに神様・然るべき人に相談できるか、が課題です。

ここまで書いて、今週の御言葉であったように心配・悩み・不安に神経を使わず、自分のすべきこと、聖三位に神経を使いなさいということが答えだと感じています。果たしてどれほど克服できるのかは分かりませんが、パッパッと始められる人になれるように頑張ります。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。